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いつ、どんな予防接種を受けたか把握するため、いまさら手帳なんですか?

2013年08月07日 公開
2023年09月15日 更新

熊谷哲(政策シンクタンクPHP総研主席研究員)

《PHP総研研究員ブログ2013年8月6日掲載分より》

 

 今年に入って流行が拡大していた風疹。相次ぐ報道によって認知が広がり、ワクチン接種などの対策も進んだおかげか、6月以降の感染者数は徐々に減少しています。とはいえ、直近の一週間あたりの感染者数は154人(第30週、7月31日現在)と、昨年のピークを依然として上回る水準にあり、予断を許さぬ状況であることに変わりはありません。むしろ、来年春になってさらに感染拡大しないように、今のうちに対策を準備しておかなくてはなりません。その基礎となるのはやはり、予防接種を受けたかどうか、自分に風疹の抗体があるかどうか、自分自身でしっかりと把握し備えるところにあります。そこで、前回のコラムでは、的確に把握するために予防接種手帳を導入すべきとしました。

 それに対して、「今の時代ならクラウドじゃないか」「マイナンバーを活用して医療情報をまとめる方が効率的ではないか」などの、貴重なご意見をいただきました。そう、その通りなんです。でも、実際には法や制度の限界があって、一足飛びに実現できるような状況ではないこともまた明らかなのです。では、それぞれどのような現状にあるのでしょうか。

 国が接種を勧めているワクチンで、対象年齢のうちに指定の保健所や医療機関で接種すると、その費用が公費で負担されるものを定期接種と呼んでいます。この定期接種の記録を、市町村は少なくとも5年間保存することが義務づけられています。すなわち、誰が、いつ、どこで、どのワクチンを接種したのか、市町村は把握しているということです。これを、予防接種台帳と呼びます。時おり報道で目にする「予防接種率は何%か」という情報は、この台帳を基に算出されています。B型肝炎の集団訴訟において証拠の裏づけとなったのは、この台帳を5年以上にわたって保存している市町村で確認された、個人のワクチン接種の記録でした。

 これまでは紙の記録を基本としてきた台帳も、個別の問い合わせに応えたり、未接種者を把握するために、「電子的な管理を行うことが望ましい」とされるようになりました。大阪市のように、住基ネットを活用した本格的なシステムを構築する自治体も現れています。「ならば、クラウド化も可能ではないか」となりそうですが、ことはそう簡単ではありません。

 住基ネットで全国的に共有されているのは、氏名・住所・生年月日・性別の4情報と住民票コードの5種類で、これを本人確認に活用して行われる行政事務の情報は市町村ごとに管理・運用することになっています。また、そもそも外部からのアクセスを前提としておらず、むしろ個人情報を守るためにセキュリティ対策が厳重に施されています。そのため、市町村の境界にとらわれない個人単位の情報管理や、外部アクセスを前提とした個人情報保護とシステムの構築とは、まったく相容れないものになっているのです。予防接種台帳に限らず、行政に関わる個人情報のクラウド化を進めるには、こうした高いハードルを一つひとつクリアしていかなくてはなりません。

 一方のマイナンバーですが、先の通常国会で法案が成立しました。正式には、「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律」といい、社会保障給付と納税を1つの個人番号で管理することを可能とするものです。個人を特定の番号で識別することからマイナンバー、あるいは共通番号制度とも呼ばれています。

 例えば医療分野では、これを活用することで過去の診療歴や投薬歴の一元管理や電子カルテの共通化などが可能となり、よりきめ細かで最適な医療の実現が期待されます。予防接種手帳の関連で言えば、個人の育ちの記録として公式に用いられている母子手帳の他に、健康手帳やお薬手帳などさまざまな手段で管理されている情報をまとめて運用することが想定されるわけです。実際、民主党政権当時の一昨年6月にまとめられた社会保障・税番号大綱では、医療サービスの向上のためにマイナンバーを活用することが盛り込まれていました。

 しかし、ここでも個人情報の管理と運用のあり方が大きな壁となっています。個人を特定する番号に、あらゆる個人情報が紐付けられることへの抵抗と、結果として国家による情報管理が強まることへの反発が根強いからです。例えば医療関連の情報については、医師会などがマイナンバーとは別の取り扱いをすべきとして反対していました。結果として、民主党・自民党・公明党の3党合意によって、マイナンバーの利用は社会保障給付と納税に関連する行政分野に限定されることになりました。他の分野での活用は「法の施行後3年をメドに検討する」ことに留められています。医療関連の情報をマイナンバーの元で管理し活用するためには、こうした抵抗や反発という大きなハードルを越えなくてはならないのです。

 いずれの問題も、個人情報のとても敏感なところに触れるために、広く理解と合意を得て行くには相応の時間がかかるものと思います。加えて、このハードルを乗り越えたとしても、相当な規模の情報管理システムとなることから、設計・開発・導入を経て実際に運用を開始するまで、数年を要するものと思われます。それまでの間、予防接種の履歴を引き続き母子手帳で管理したり、結果として個人の記憶に頼るようではリスクが大きいので、やはり予防接種手帳の導入を進めることで当座をしのぎつつ実績を積むことが必要であると考えます。

 もちろん、困難な問題だからといって、医療サービス分野でのマイナンバーの活用やクラウドの推進に二の足を踏んでばかりはいられません。例えばノルウェーでは個人識別番号制度が1970年に導入され、医療分野でも活用されています。「SYSVAK」という予防接種の記録システムが稼働したのは1995年からで、ワクチン接種を受けた人や医療従事者は記録にアクセスすることが可能となっています。わが国でも、高齢社会の進展や医療費の増大という課題に対応し、同時に健康リスクの低減をはかっていくことが必要です。そのためには、こうした先行例に学びつつ、大きな効果が見込まれるクラウドやマイナンバーの活用を進めることが不可欠です。3年という期限を浪費するのではなく、一刻も早く結論を出す努力が政府には求められます。

 もっとも、ネット通帳の利用が広がってもなお紙の預金通帳が多数を占めているように、場面に応じて手元で示すことのできるアナログな手帳の存在は、しばらくの間は消えることはないでしょうが。

研究員プロフィール:熊谷 哲☆外部リンク

 

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