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「インド太平洋」の時代は到来するか

2013年07月01日 公開
2023年09月15日 更新

金子将史(政策シンクタンクPHP総研国際戦略研究センター主席研究員)

《PHP総研研究員ブログ2013年6月27日掲載分より》

 

 ある国が自国をどのような地域の中に位置づけるかは、すぐれて政治的な行為である。そして、それがどの程度自然なものと感じられるかは、歴史的経緯はもちろん、関係国の友敵関係やパワーバランスの変化などによって大きく影響を受ける。日本の外交政策サークルにおいては、80年代は「環太平洋」、90年代には「アジア太平洋」という地域概念が流布しており、21世紀に入ってからは「東アジア」という地域概念も力を得た。しかし、東アジア共同体という言葉を振りかざした鳩山政権の外交・安全保障政策が失敗に終わり、また中国に対する警戒感が強まったため、東アジアという地域概念の魅力は今日やや色あせたようにみえる。反比例するように勢いを取り戻したのは、TPP(Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement)に代表されるように、米国を含む地域概念である太平洋、環太平洋である。といっても東アジア志向が全く失われたというわけでもなく、当面太平洋と東アジアという地域概念が緊張をはらみながら共存することになるのだろう。

 そして、太平洋と東アジアに加えて近年あらたに浮上しつつある地域概念が、「インド太平洋(Indo-Pacific)」である。中国とインドが大型の新興国として台頭する中、米国の戦略家の間では、中国に対するカウンターバランスの観点でインドに注目する向きが強まっていたが、地政学的競争の次なる焦点はインド洋であると高らかに宣言し、太平洋とインド洋の戦略的融合に人々が目を向ける契機となったのは、2009年にロバート・カプランがフォーリン・アフェアーズ誌に発表した論文 “Center Stage for the 21st Century ”だろう。2010年には、日本研究者として名高いマイケル・オースリンもインド太平洋のコモンズ(公海、航空路、サイバー・ネットワーク)のトレンドを分析し、その安定化をはかる方策を提示する報告書(Michael Auslin, Security in the Indo-Pacific Commons, AEI Press, December 2010)を発表している。オバマ政権の高官の発言や公的な報告書の中でも、インド太平洋という言葉やインド洋と太平洋を連続してとらえた表現が目立つようになっている。

 注目すべきは、今年5月に発表された豪州の国防白書が、インド太平洋が同国の戦略的利害がかかっている地域であると明記したことである。2009年の国防白書では「広域アジア太平洋(wider Asia-Pacific)」という概念を用いており、今回の国防白書は、それがインド洋を含むことを明確にしたものといえる。特に米国から見て、インド太平洋を浮上させるトレンドは豪州の戦略的価値を高めている。豪州は、日本などに比べて中国のミサイル攻撃に対して脆弱ではなく、また西太平洋とインド洋の双方ににらみをきかせうる位置にある。上述のカプランも2010年に発表した“The Geography of Chinese Power”で、オセアニアの重要性が高まると強調しており、実際、米国は海兵隊の一部を豪州に配備するなどの動きをみせている。豪州は基本的に米国の戦略的な方向性に適合しようとしているが、豪州の中には米国の対中戦略に巻き込まれることへの抵抗も生まれている。

 日本ではインド太平洋という地域概念はまだそれほど人口に膾炙しておらず、またインド洋と太平洋の戦略的連関性についての議論も一部を除けば盛んであるとは言いがたい。安倍首相は、第一次政権の頃からインドの戦略的重要性に着目しており、再登板してからの政策スピーチでもしばしばインド洋と太平洋の連関性に言及しているが、それが内実を伴う政策体系に育っていくには、インド太平洋という枠組みの有用性や限界について知的に吟味する作業が欠かせない。

 こうした中で、日本国際問題研究所からインド太平洋を正面から検討の対象とした報告書「アジア(特に南シナ海・インド洋)における安全保障秩序」が発表されたことはまことに時宜にかなっている。以下、特に「インド太平洋」概念に焦点をあてた論考を紹介しよう。

 山本吉宣座長(PHP総研研究顧問)による序章では、インド太平洋をめぐる数多の言説や各国の立ち位置の違いが手際よく整理されており、この問題に関心をもつ人々にとって格好の出発点となるだろう。日本における議論を丁寧にレビューした神谷万丈氏(防衛大学校教授)の論文は、米国と異なり日本ではインド太平洋が海洋を中心に理解されていることなど、日本におけるインド太平洋理解の特徴を浮き彫りにしている。八木直人氏(海上自衛隊幹部学校教官)の論文は、エアシーバトル、オフショア・コントロール、アウトサイド・インといった米軍の作戦構想を米国のインド洋戦略と連関しながら論じており、これらの作戦構想がインド洋と太平洋の戦略的な連関性の中にどう組み込まれうるか、さらなる興味をかきたてられる。菊池努氏(青山学院大学教授)の論文は、インド太平洋における秩序形成を考える上で、インド、インドネシア、ASEAN、豪州といった自ら秩序形成の主体にはならないが、無視できない国力や地理的位置を有するSwing Statesとの連携が必要という重要な視点を提供している。海洋秩序論、地域安全保障複合体論という観点からインド太平洋を論じた納家政嗣氏(上智大学特任教授)の論文は、特に前者について海洋は陸地ほど均衡行動への誘因が大きくないと指摘するなど、洞察に富む議論を展開している。

 インド太平洋という地理的概念をめぐってこれほど詳細な検討が行われたのは本邦初といってよく、ぜひ一読をすすめたい。大まかに言って、本報告書のインド太平洋に対する態度は、その可能性を見極めようとしながらも、前のめりではなく慎重、というものである。インド太平洋という言葉が内外で定着するかどうかはまだ流動的だが、日本の外交的地平がインド洋を含むべきことは間違いない。いかなるかたちでそれを実現していくべきか、政策的な方向性を確立する上でも、こうした知的営為を蓄積していくことが必要だろう。

<研究員プロフィール:金子将史*外部サイト

 

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