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鈴木康友氏が語る「道州制」実現の道筋 ...地方から変革する意義とは?

2024年07月03日 公開

鈴木康友(静岡県知事)

鈴木康友

前浜松市市長で、現在は静岡県知事を務める鈴木康友氏は、長年にわたる経験に基づいて「道州制」の必要性を説く。日本を分権国家に戻す意義、実現のための道筋とは。書籍『市長は社長だ』より紹介する。

※本稿は、鈴木康友著『市長は社長だ』(PHP研究所)から一部を抜粋・編集したものです。

 

日本を変える「道州制」の実現

松下政経塾の生みの親である松下幸之助氏の掲げた大きな目標の一つに、道州制の実現があります。すでに半世紀以上前に、明治以来続く日本の中央集権的な統治構造を変えなければ、日本の活力が失われていくことに気づいていたのですから、恐るべき慧眼です。

私が知っている限り、松下氏と同じ問題意識を持ち、国を変えようと最も行動した人物が橋下徹氏です。橋下氏は、日本の統治構造を根本から変えないとだめだということで、その先駆けとして大阪都構想の実現に奔走されました。そして大阪都実現の暁には、道州制を目指し、関西州を生み出すことが最終目標でした。

しかしながら住民投票で否決され、大阪都構想が幻に終わってしまったことが何とも残念です。しかもけじめをつけて橋下氏も政界を引退されました。二重に残念でなりません。

橋下氏は、松下政経塾の後輩の村井嘉浩・宮城県知事と「道州制推進知事・指定都市市長連合」の共同代表を務められ、経済界や政界への働きかけもされていました。橋下氏が引退された後は、私が村井知事と共同代表を務め、活動を続けてきました。

一時期、経団連や経済同友会などの経済団体が活動に加わったり、国会でも道州制基本法が上程寸前まで行きかけましたが、反対が根強いということでお蔵入りしてしまいました。その後は道州制の議論が沈静化しています。

日本のように人口規模が1億2000万人もある巨大な国を、中央政府が一律にコントロールしているような国家は他に見当たりません。巨大国家は米国のように、多くが連邦制を採用しており、地方が自主性をもって自治を確立しています。

かつて国の改革で話題となったニュージーランドは、人口400万人で静岡県と同じくらいの規模ですし、北欧の優等生フィンランドは北海道と同じ規模です。日本の県くらいの規模の国は、世界に数多くあります。道州制で国を分割しても、決して小さすぎることはありません。

道州制の細かな議論は割愛しますが、私たちの目指す道州制は、道州に国のほとんどの機能を移管し、国は防衛や外交など、国家として果たすべき機能だけを担うというものです。

当然、経済政策などはそれぞれの州が行い、課税自主権も担保しますので、地域格差も生じます。しかしそれは善政競争の結果であり、格差を乗り越えようとする努力によって、さらにそれぞれの地域が発展します。結果的に国全体として活力が生まれます。

道州制は明治以来の国の形を変える大改革です。明治維新が分権国家であった幕藩体制を壊し、中央集権的な国家につくり変えた改革であったのに対し、道州制はかつての分権国家に戻す取り組みです。

この大改革を明治維新のような武力革命ではなく、民主的な手続きで行うわけですから、世論形成も含めて大変な努力が必要です。しかし私はこれを実現しなければ、日本の未来はないと思います。道州制実現に向け、再び機運が盛り上がることを念願してやみません。

 

道州制への突破口「特別市」

衆議院議員から市長に転身していちばん感じたことは、基礎自治体である市町村が、ほとんどの行政サービスを市民に提供しており、ここに政治行政の現実が存在するということです。さらに、基礎自治体が自立した都市経営ができれば、県の役割がなくなり、道州制へ移行できるのではないかということも実感しました。

浜松市は自立した都市経営を実現しており、県に頼らなくても独立してやっていけます。私の経験から言えることは、人口50万人くらいあれば、自立した都市経営は十分可能になるということです。人口100万人を超えると、逆に大きすぎる感じがしますので、人口50万人から100万人くらいがいちばん適正な自治体規模ではないかと感じます。

この話をすると、面積はどうかと質問されることがありますが、面積はあまり関係ないと思います。何しろ伊豆半島より大きく、面積の半分が過疎指定を受けていた浜松市で、自立した経営に成功しましたので、面積が広くても大丈夫です。しかし人口は一定の規模がないと自立は難しいでしょう。

何が言いたいかといえば、日本の基礎自治体を人口50万人から100万人くらいの規模に再編すれば、県がいらなくなるということです。県に頼らなくても、基礎自治体が十分市民サービスを提供できれば、必然的に県ではなく、もっと広域行政を展開できる道州制に移行できるのではないかと考えます。

「平成の大合併」と呼ばれた市町村合併推進の後は、合併は大きく後退してしまいました。平成の合併策は失敗だったというのがもっぱらの評価であり、現在再び市町村合併を進めようという空気はありません。

失敗の根本原因は、合併を進めた後の「国のカタチ」、すなわち将来ビジョンを示していなかったことにあるのではないかと考えます。理念なき合併推進を進めた結果、不満だけが残りました。

たとえば「全国の自治体を適正規模に再編し、権限を強化して県から自立させ、役割の終わった県は同州に移行することによって、新たな分権型国家をつくる」といった新たな国家像を示すべきであったのではないかと思います。

国会議員のときは、上から目線で県の再編を考えていましたが、今では逆に基礎自治体の再編を進めたほうが、自然と道州制への道が開けると確信しています。明治維新もそうでしたが、日本を変えるためには、地方から変えていかなければならないのではないでしょうか。

 

礎自治体自立の切り札

基礎自治体を府県から切り離し、自立させる制度があります。それが「特別市」です。政令指定都市市長会では、多様な大都市制度創設の一環として、「特別市」制度の法制化を国に働きかけています。

特別市は、政令指定都市が新たに考案したものではありません。原型は戦後つくられた地方自治法に明記されていました。昭和22(1947)年に、日本国憲法と同時に公布された地方自治法には、人口50万人以上で、府県から自立できる力のある自治体を府県から切り離し、特別市として独立させるという規定が盛り込まれました。

今から80年前の終戦直後に、このように先進的な規定が発布されていたのですから驚きです。終戦直後のことですから、この条件に合致する自治体は、横浜市、名古屋市、京都市、大阪市、神戸市の五大市と呼ばれた5つの自治体しかありませんでした。

しかし、この5つの自治体に抜けられたらたまらないということで、その後府県の猛烈な抵抗が始まります。極めつきは、特別市を決める住民投票が、当初は対象市の住民の住民投票で決めるという手続きであったものが、府県全体の住民投票で決めるという手続きにすり替えられてしまったことです。

結果的に特別市は一つも実現しませんでした。その後も特別市問題はくすぶり続け、昭和31年に妥協の産物としてできたのが、政令指定都市制度です。

府県から完全に独立した特別市と、他の市より少々多くの権限は付与されているものの、基本的に他の市と同じ府県との関係にある政令指定都市は全く異なるものです。

政令指定都市市長会では、府県からの自立を目指して、終戦直後にできた「特別市」制度を復活させようと取り組みを進めています。ただし、特別市制度ができれば政令指定都市がすべて特別市になるわけではありません。20ある政令指定都市は、それぞれに特徴や事情が異なるため、制度ができたからといってすぐに特別市に移行する自治体ばかりではありません。

しかし制度がなければ、特別市は実現しません。全国一律に自治体をコントロールする時代は終わりました。多様な形態を選択できる環境を整備しなければなりません。

 

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