私も例に漏れず松陰を、日本史を語るうえでは欠かせない人物だと評価している。しかし、松陰自身、『講孟余話』で歴史を学ぶ大切さを強調しているものの、『日本外史』の読み方については問題があったと指摘せざるを得ない。
濱野靖一郎氏が著した『頼山陽の思想 日本における政治学の誕生』(東京大学出版会)によれば、松陰は松下村塾で『日本外史』を毛利氏の部分から講読することが多く、徳川氏の記述を弟子たちと一緒に読むことはなかったという。
また、毛利元就は主人である大内義隆に謀反した陶晴賢を討ったが、松陰は毛利氏の「義」を強調した。加えて、関ヶ原の戦いで毛利家は領土を削られたことを紹介し、門下生が長州藩の受けてきた屈辱を学ぶように『日本外史』の読み方を教えた。
それも一つの歴史の学び方ではあるだろう。しかし率直にいえば、私はそうした『日本外史』の「誤読」、さらにいえば一側面をことさら追究する姿勢そのものに、歴史観を養う方法としては疑問を抱いてしまう。
歴史とは学び方によって、人びとを過激な方向へと導きうる。また歴史叙述が公正ではなく、いわば悪意に覆われている例は枚挙に暇がない。
じつは、前5世紀に古代ギリシアのヘロドトスが書いた『歴史』は悪意の塊だという説がある。そう唱えたのはプルタルコスで、彼はずばり「ヘロドトスの悪意」という論で、悪意をもって歴史を叙述する特徴として8点を挙げる。
第一は出来事を叙述するときに極めて過酷な言葉や表現を用いること。
第二はある人物の愚行を強調するために無関係な話題をもち出すこと。
第三は立派な業績や称賛に値する手柄を省略すること。
第四は同じ出来事への解釈が複数あるとき、悪いほうを選び取ること。
第五は事件の原因や意図がはっきりわからない場合、敵意と悪意から信じるに値しない推論に手を伸ばすこと。
第六は人の成功を金銭や幸運に拠よるとして功績の偉大さを減らすこと。
第七は婉曲に誹謗の矢を放ちながら、途中で非難を信じていないかのように公言すること。
そして第八は少しだけ褒め言葉を付け加えて難癖を薄める書き方をすること――である。
松陰は「ヘロドトスの悪意」の第三などに囚われてしまっており、平和を築いてきた徳川幕府の功績をまったく無視している。
もちろん、「ヘロドトスの悪意」とは松陰に限らず誰もが無意識に陥りがちな悪弊だし、本当の意味で公正な歴史の見方など存在しないのかもしれない。だからと言って、偏った歴史観を磨き続ければ物事の本質を見誤ってしまうだろう。
更新:11月22日 00:05