2020年07月30日 公開
2020年07月30日 更新
ならば、われわれは新型コロナとどう向き合えばいいのでしょうか。私はこう思います。ウイルスが人類に投げかけているのは、究極的にいえば私たち個人の「人間らしさ」とは何かという不断の問いかけなのだと。
11年前に『インフルエンザ21世紀』を執筆したころから、多くの専門家が「想像力が大事」と話していました。しかし、具体的にはどう想像すればいいのか。
パンデミックの対処法には戦争モデルと社会心理学的モデルの二つがあります。前者は人間とは非常事態になると判断力が鈍るため、政府や行政がトップダウン式に「こうしなさい」と人びとの行動をコントロールする必要があるという考え方です。
一方、人間とは意外とパニックにはならず、臨機応変に創意工夫できるものだから、がちがちにマニュアル化せず「のりしろ」部分を残して、そのときの自発的な判断力に任せようという後者のモデルが、社会学や組織論の研究者には支持されています。
二つのモデルに優劣はつけられません。なぜならば人間に対する見方の違いだからです。求められるのはどちらのモデルを選ぶかではなく、メリハリをつけて組み合わせる作業です。
20世紀型のパンデミックには必要なかった高度な戦略であり、ある部分は戦争モデルで制限をかけるが、そのほかの部分は社会心理学的モデルで各人に行動の選択を委ねる。非常に複雑ですが、私はそれ以外に進むべき道はないと考えています。
ここで意識していただきたいのが、「メリハリ」という言葉です。専門家会議の尾身(おみ)茂副座長もテレビで「メリハリをつけて対策を立てていくのが必要だ」と語っていましたが、そのとおりだと感じました。
その際、行動のどの部分を個人の判断に委ねるかですが、参考になるのが『インフルエンザ21世紀』にもインタビューを掲載した慶應義塾大学教授の吉川肇子(きっかわとしこ)氏の知見です。
吉川氏はクライシス・コミュニケーションの専門家ですが、危機下において人間はどうコミュニケーションをとるべきか、三角形を横に三分割した図を用いて私に説明してくれました。
まず、いちばん下のベースとなる部分が「真理へと至る対話」。科学により根拠が認められる対策であり、マスクを着用したり手洗いを徹底したりということです。すべての基盤になる議論であり、各人が自発的にとることがたやすい行動でしょう。
真ん中が「合意へと至る対話」。たとえば病院でトリアージ(命の選別)をどうするかは、現実問題として議論されています。発熱して病院を訪れたはいいがたらい回しにされたという話も耳にしますが、こうした事例を解消するには、行政や市民が話し合いで「このやり方が自分の街ではいちばんいい」と決める必要がある。
ワクチンが開発されても全員に行き届かない場合、医療従事者と子供と高齢者、誰に最初に打つべきか専門家でも意見がわかれます。それは人口動態から交通機関の規模など各自治体の性格にも拠りますから、科学を基盤に意見を合意させるべき事案です。
いちばん上が「終わらない対話」。これがもっとも難しいのですが、吉川氏は「感染症とは何か?」など結論がでないけれども絶えず考え続けるべき問題と話しました。私はここに、「人間とは何か?」という問いを置き換えたいと思います。
いま、私たちは「どうしたらより『人間らしく』生きられるだろうか」を考えるべき時代を迎えています。20世紀初頭、スペイン・インフルエンザで数千万人単位の人が命を失いました。いわば大量死の時代ですが、いまは一人ひとりの命がそれぞれ重く、意味があるという倫理観が浸透しています。
あえて極端なことをいえば、スペイン・インフルエンザでさえ3年後には終息したのだから、新型コロナも「死ぬ人もいるけれど、生き残る人もいる」未来を受け入れれば、放っておいて終息するのを待つ選択もできる。
しかしいま、そうした意見を唱える人は稀です。なぜ世界が協力してウイルスを抑え込もうとしているかといえば、一人ひとりの命の重さが昔に比べて重くなっているからです。一人でも多くの命を救うということが私たち人類の目標であり、だから必死になっている。
ここでクローズアップされるのが、現在の世界の倫理観をかたちづくる「人間らしさ」です。命は等しく尊いという合意があればこそ、私たちはいかに協力し合えるか議論しています。
そのとき、先ほどの「真理へと至る対話」「合意へと至る対話」「終わらない対話」で考えると、前者二つは情報のグローバル化もあり、共通認識を得られるでしょう。しかし「終わらない対話」に関しては非常に揺れている。
たとえば、個人主義の考え方と公衆衛生の考え方は、そもそも相容れません。自分の家族が感染しないようにすることと、人類全体の健康を考えること、どちらがより「人間らしい」のか。
ならば、私はこう思います。どちらか一つを選ぶのではなく、メリハリをつけながら、その時々で「いま求められる人間らしさは何か」を思考すべきではないか、と。
私たち人間は一律的ではない判断をできるはずで、それが本当の意味での想像力のはずです。さらにいえば、それは洞察力であり、その場での判断力であり、それを行動に移す実行力であり、最終的にどういう社会貢献に結びつくのか自分の信念と結びつける力です。
ある会議を開くか否か考える際、科学的根拠に基づき、このスペースならば参加者が咳エチケットを守れば大丈夫と都度考えることは、一つの人間らしさでしょう。これが子供であれ大人であれ、学生であれ大手企業の役員であれ、求められる姿勢ではないでしょうか。
更新:11月22日 00:05