2020年07月10日 公開
そしてもう一点重要なのは、こうした統計データの蓄積から、実際の人びとの利得につながるシステムを構築することだ。コロナ禍の休業要請の例では、基準に従うメリットがはっきり見えないために、漠然とした「他者への配慮」が人びとを苦しめることになった。
これに対して、中国ではコロナ禍以前から、「信用スコア」という、人びとの社会的な信用度をスコアとして数値化するシステムが導入されていた。たとえば、貸自転車などのサービスにおいて、各個人の利用データが蓄積される。
この場合、返却期限の超過など、基準に従わない行動の蓄積により、デメリットとして鉄道や飛行機などの予約サービスを受ける機会が制限される。つまり、損害や利得をともなうかたちで、信用スコアが人びとの行動選択の基準となるのだ。
もちろん、こうしたシステムの導入には監視問題などの議論が不可欠ではある。一方で、危険だけが過大視され、人びとが社会的な行動をデータに結びつけ、選択するうえでの利得までもが一律に排除されてしまうのは問題である。
このようなデータシステムの導入を議論することなくただ暗黙に利用してしまえば、自動運転の事故責任が誰にあるのかという問題のように、技術の発展がいつの間にか人間の自律性を脅かすことも起こりかねない。
2000年代の日本でインターネットが普及した際も、携帯電話上の利用方法だけが注目され、パソコン上でデータを扱う重要性が認識されていなかった。そのため、人びとのデータ利用に生じうる格差については、社会的な方策の議論がほとんどなかったことが、現在のこうした問題につながっているともいえる。
想像で動いてしまうような人の行動を直接に取り扱うことは難しいが、行動のもとになるデータを取り扱うことを考えれば、未来への「出口」はより見つけやすくなるのではないだろうか。
更新:12月04日 00:05