2020年05月06日 公開
感染症をめぐる国際協力の始まりは19世紀に遡る。ヨーロッパ各都市でコレラが大流行するなか、各国内で感染者を隔離し、公衆衛生設備を整備したが、流行を食い止めるには不十分であった。
越境する感染症に対して、近隣諸国がそれぞれの国内情報を共有し、入国する人や船に対して、共通の検疫制度を確立して初めて有効に対処できる。
また、各国の情報を集約・分配する組織の必要性も認識された。こうして1851年以降、ヨーロッパ各国のあいだで国際衛生会議が開催され、1903年に成立した史上初の国際衛生協定では、特定の感染症(コレラとペスト、1912年に黄熱病が付け加わる)に関する通知義務や検疫法などが定められた。
その後、国際連盟のもとで感染症情報を集約・分配する組織も設立され、協力体制は発展した。第二次世界大戦中も感染症の抑制が戦略上重要であるとして、連合国を中心に国際衛生協定が運用された。
1945年国連憲章起草のためのサンフランシスコ会議が開催されると、戦前ならびに戦時中の保健協力が評価され、国連憲章55条b項に、国連が促進すべき分野の一つとして「保健」が含まれた。
こののち英米の主導のもと、国際保健協力の母体として設立されたのがWHOである。
ただしWHO設立に際しては、米ソを含む多くの国が、当機関が強い権限を有し、幅広い事業を手がけるという案に難色を示した。自国の裁量が制限されることを恐れたからだ。
「保健協力を統括する国際組織は必要だが、主権国家としての裁量は狭められたくない」。このような思いの妥協の産物として生み出されたのがWHOである。
結局WHOとは、保健協力に関する世界政府なるものではない。保健協力の情報塔として機能しつつ、各国に必要な指針を与え、連携を促し、必要な支援を調整する組織である。
いずれの機能も強制力をもつものではなく、加盟国の自発的な協力があって初めて円滑に機能しうる。このようなWHOの限界は国際政治の特質を反映したものであり、設立当初から埋め込まれたものなのである。
更新:11月25日 00:05