2018年05月14日 公開
2020年04月07日 更新
※本記事は、『Voice』2018年5月号、吉田良治氏の「スポーツに暴力は必要ない」を抜粋、編集したものです。
昨年11月の横綱・日馬富士による暴力事件から続く大相撲界の暴力問題、女子レスリングのオリンピック4連覇、伊調馨選手へのパワハラ問題など、スポーツ界に根深く残る暴力や人権を損なう行為が、連日メディアを賑わせている。間もなく平成が終わろうとしているいま、日本のスポーツ界はいまだ昭和の悪しき風習に苦しんでいる。
2012年12月23日、大阪・桜宮高校で起こった体罰・自殺事件以降、スポーツ指導者の暴力に伴う体罰について、徐々に改善の空気が流れ始めた。
しかしその後も指導者から女子柔道日本代表選手へのパワハラ問題が発覚し、指導者の解任に発展した。指導者から選手への暴力だけでなく、部活の部員間、とくに先輩から後輩への暴力という、体育会系の悪しき風習が続く。
天理大学柔道部で起こった選手間の暴力問題では、当時主将のオリンピック金メダリストも暴行現場に居合わせたことが発覚し、長期の謹慎を余儀なくされた。
この時期は2020年東京五輪・パラリンピック招致活動と重なり、オリンピック選手や日本代表コーチも暴力問題に関与するという日本のスポーツ界に蔓延る負の歴史が、反暴力を掲げるオリンピックの招致に影響する懸念から、国を挙げてスポーツ界の暴力撲滅の動きが加速された。
体罰を生み出す背景の1つは、大相撲の部屋制度、大学や高校の部活なら合宿生活など、閉ざされた世界が根底にある。指導者と選手、先輩と後輩の関係は狭い世界の中だけで成り立ち、その世界の価値観に偏ることが、体罰を生み出す温床となる。
自立を促すための指導ではなく、むしろイエスマンを生み出しているのだ。違った価値観に触れ、幅広い選択肢と多様な経験をする機会をもち、スポーツという小さな殻を破ることが必要である。
更新:11月23日 00:05