2018年05月08日 公開
2022年10月13日 更新
われわれ日本人は、そういう物語を持っている国民である。このような物語は、世界のどこを探してもない。たとえばイギリスの国歌では、冒頭で「God save our gracious Queen(King)」と歌う。「神よ、われらの慈悲深き女王(国王)陛下を守り給え」と、国民の側が神に祈るのである。もちろん英国民たちは、神に祈るという形を取りながら、実のところ本心では、女王や王に「慈悲深くしてください」とお願いをしている。
このような姿は、天皇が国民のために「あらゆる罪や厄災は私が一身に引き受けます。国民をお守りください」と祈る日本とは、まったく違う。日本の場合、天皇は慈悲深いに決まっている。
西洋でも中国でも、王様や皇帝といえば、権力を持ち、軍事力も備え、国民を収奪し処罰する「力」の存在であることが一般的である。だが、日本は違う。日本の天皇は、国民のために祈る「情」の存在として、国民の心の中に息づいているのである。
日本では、多くの人が天皇はありがたいという。だが、なぜありがたいかをいう人は少ない。その点について、私が思っているのは、いま書いてきたようなことである。
天皇がなぜありがたいかを知っていないと、逆に国民が天皇に、知らないうちに残酷な仕打ちをしてしまうことにもなる。「大御心」で「あらゆる罪や厄災は私が一身に引き受けます」と祈って下さっている方に対して、国民の側から、あたかも完全無欠でなければならないかのような高みを要求するのは失礼千万というものであろう。
もっとご自由になれる時間があってもいいし、お休みがあってもいい。定年退職があってもいい。少なくとも江戸時代以前はそうしていたはずである。皇族の方が若き日に海外に留学されるとき、もう少し羽を伸ばされてもいい。在英日本大使館にいた私の知人が「ご留学中、変な噂が立たないように、あまり色々な人と親しく接することがないよう気をつけるのが大変だった」というのを聞いて、私などは「余計なことをしなくていいのに」と思わずにはいられなかった。もっと「情」があってもいい。
また、皇室財産も戦後、GHQによって縮小されて、それきりである。「情」が伝わるのは「自腹」が何よりである。「御下賜金」といって、天皇がご自身の財産から、国民に義援金や奨励金などを下し賜わることがある。これはいわば、陛下の自腹である。だが、財産が減ってしまったので、いま、そのようなことも昔のように十分にはできない。このままにしておくのは、あまりに申し訳ない。
皇室財産を増やそうとすると、社会主義的な考えを持つ人びとが反対するのだろうが、そのような考えは貧相な嫉みや嫉みであって、あまり「情深い」といえない。昭和天皇のお励ましもあって、せっかく日本もここまで豊かになったのである。いつまでもGHQの軛に縛られず、皇室財産をもっと増やすことを考えてもバチは当たるまい。
繰り返すが、天皇はご立派な振る舞いをされるから偉いのではない。千年以上にわたって、「あらゆる罪や厄災は私が一身に引き受けます」という祈りを続けてこられた「情」の存在だからこそ尊いのである。日本国民として、それは忘れぬようにしたいものである。一つの国の歴史やあり方、権力の源というものは、すべてこのような「History」であり「Story」なのである。
素晴らしいストーリーがあれば、皆、「いい国に生まれた」と思い、団結が強くなって、喜んで社会に貢献する。東日本大震災の折もそうだったように、世界の人が驚き、称賛するような立派で勇気ある行動をしていく。そうするとますます、「いい国に生まれた」と皆が思えるようになる好循環が生まれる。
天皇ご自身が「情」の存在であり、国としても「情」の社会であった日本は、そのような意味からしても、世界に稀なる「いい国」なのである。
(本記事は、日下公人一著『「情の力」で勝つ日本』<PHP新書>を一部抜粋、編集したものです)
更新:11月23日 00:05