2017年09月05日 公開
2022年10月13日 更新
韓国の文在寅大統領は8月15日、日本の朝鮮半島統治からの〝解放〟72年に当たる「光復節」の式典で演説し、「(戦前の)強制動員の苦痛は続いている」と徴用工などの問題に言及したうえで、今後南北関係が改善すれば、「南北共同で被害規模の実態調査を検討する」と述べた。式典には元慰安婦の女性が初めて招かれ、慰安婦と徴用工問題について文氏は、「歴史問題にケジメをつけたときに両国間の信頼がより深まる」「日本の指導者の勇気のある姿勢が必要だ」などと日本側に責任を押し付けた。
これに先立つ12日には、首都ソウルと仁川に民間の反日団体による「徴用工像」が設置された。日本大使館前への設置計画もあるという。本誌前号で触れた反日映画『軍艦島』も封切られた。北朝鮮の核脅威に直面する朝鮮半島状態の緊張を考えれば、政官民挙げて〝反日ゲーム〟に興じるかのような韓国人の姿は異様としか言いようがない。
元徴用工や元挺身隊員らの個人請求権の問題は、昭和40(1965)年の日韓請求権協定に「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」とあるように、日韓両政府間で解決済みである。協定には「議事録」が付いており、これには「日韓会談において韓国側から提出された『韓国の対日請求権要綱』の範囲に属するすべての請求が含まれており、したがって、同対日請求権に関しては、いかなる主張もなしえないこととなることが確認された」と念押しされている。
日韓請求権協定の交渉時は、実際に戦前の日本の朝鮮半島統治の実情を知る世代が日韓の大半を占めていた。その後の世代が「後付けの知識」で否定できるようなものではない。日本は同協定によって韓国に5億ドルの経済協力(無償供与3億ドル、政府借款2億ドル)を実施し、民間も約3億ドルを拠出して戦後の韓国の発展を援助した。当時、日本の外貨準備高が18億ドルであったことを考えれば、これはたいへんな額だった。
当時の朴正煕政権は、この資金を農業の近代化や浦項製鉄所建設をはじめとする企業の育成、科学技術開発などに投入した。結果として1966~75年の10年間に韓国は「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を果たすことにつながった。日本が供与した資金の使途は、韓国政府の自由裁量だった。戦前の補償を何も受けていないという韓国人がいても、それは配分した韓国政府の問題であって日本の責任ではない。
平成17(2005)年、当時の盧武鉉政権は日韓請求権協定をめぐる外交文書を公開し、「韓日会談文書公開の後続対策に関する民官共同委員会」なる組織を設け、日本側が拠出した無償供与3億ドルに個人の補償問題の解決金が含まれるという見解を明らかにした。つまり、徴用工問題は請求権協定で解決済みである、と彼ら自身が再表明していたのである。日本側に新たに賠償を要求するのは困難との結論に達した盧武鉉政権は、国内法を制定して支援を行なうことにした。文氏はこの問題を担当する首席秘書官として作業に加わっていたはずである。それを忘れたのか。
(本記事は『Voice』2017年10月号、日下公人氏の「韓国『徴用工』問題、霞が関の怠慢」を一部、抜粋したものです。全文は9月8日発売の10月号をご覧ください)
更新:11月22日 00:05