2016年01月09日 公開
2022年10月13日 更新
上島 戦後70年の安倍首相談話に対する新聞各紙の社説を読んだとき、いまだにGHQ(連合国軍総司令部)に刷り込まれた東京裁判史観から脱け出すことができない戦後日本人の思考の枠組みが、典型的に表れているなと思いました。
安倍談話は「歴史総括として、極めて不十分」で、「多くの国民と国際社会が共有している当たり前の歴史認識を覆す無理」(『朝日新聞』)を通そうとしたもので、「すでに定着した歴史の解釈に異を唱え、ストーリーを組み替えようとする歴史修正主義からきっぱりと決別」(『毎日新聞』)すべきだというのは、日本は自らの歴史の解釈権を放棄したまま戦勝国の歴史解釈に従う「敗者の戦後」を今後もずっと歩き続けよ、といっているに等しい。
日下 「すでに定着した歴史の解釈」とは何だと(苦笑)。
上島 これらの社説に共通するのは、戦前日本の歩みと大東亜戦争の評価を「すでに定着した歴史の解釈」に委ね、それに従うことでしか日本は国際社会に生きられないという現状追認で、GHQの検閲に従って生き残った新聞社の自己肯定と重なっています。『産経新聞』だけが「謝罪外交の連鎖を断ち切れ」と主張しましたが、いったい日本人はいつまで「敗者の戦後」を引きずるのか。
日下 たしかに東京裁判の「諸判決」を日本は敗戦の結果として受け入れましたが、裁判を主宰した戦勝国の歴史観を是としたわけではない。「すでに定着した歴史の解釈」とは、戦勝国がその利益と優位を永続させるために自己都合丸出しでこね上げた歴史の解釈でしかない。
上島 その無理を彼らも承知しているから、折あるごとに敗者にそれを認めさせる政治的な作業を行なう。歴史修正主義というレッテル貼りがその1つですが、日本人はいい加減、「平和を愛する諸国民」の存在という幻想を捨て、国際社会では実際に銃砲弾が飛び交わなくとも、自国優位を確保するために熾烈な情報戦や宣伝戦が繰り広げられているという認識をもたなければいけない。
日下 彼らの解釈の範囲でしか物を見たり考えたりできないとすれば、それは歴史のイフを禁ずることで、歴史について「イフを許さない」というのでは、歴史から教訓を導き出すことがあってはならないといっているのと同じです。そして、このとき大切になるのが、拡散思考なのです。「優位戦思考」といってもよい。
優位戦は、攻めることも守ることも自在。戦いのルールから、勝敗や和平の定義まで決められる立場から仕掛ける戦いです。一方、劣位戦はそれらのイニシアティブがない立場からの戦いです。「日本は悪かった」「日本は間違っていた」というのは劣位戦思考から出てくる答えでしかなく、優位戦思考から歴史のイフを考えると別の答えが出てくる。そして、未来の日本に必要なのは、日本人の可能性を広げる別の答えなのです。
日本人は歴史の解釈においても、優位戦思考を取り戻さなければならない。仮に侵略戦争をしたというのなら、それは日本だけではない。人類の歴史を見れば、強国はみんなした。問題は強いか弱いかだけで、強国で自分より力の劣る国に手出しをしなかった国は、1つとしてないといってもよい。
かつてある機会にそう話したら、同席していた当時の大来佐武郎外相が、「君のいうとおりだが、日本は直近にやったから最も罪が重い」といったのですが、これは、まったくの間違いなのです。
たとえば、日本が大東亜戦争後ベトナムから撤兵すると、宗主国だったフランスはまた軍隊を送って植民地支配を継続しようとした。すでに独立を宣言していたホー・チ・ミンが抵抗し、ディエンビエンフーでフランス軍を破って独立を果たすのですが、フランスの侵略は日本のあとです。日本がインドネシアから引き揚げたあとにも、オランダが軍隊を送って独立宣言していたスカルノ大統領と戦っています。オランダのほうが新しい侵略者です。
アメリカも日本が去ったあとフィリピンに入っています。フィリピンはすでに1943(昭和18)年に日本が解放を手助けして独立国となり、「われわれは独立国家である」と主張しました。ところがアメリカは「日本による独立は承認しない」といって再びフィリピンを植民地にし、翌年アメリカの手で独立を与えるという手段を取りました。アメリカはこの経緯のなかで、ルーズベルトが署名した「大西洋憲章」に謳う民族自決の尊重や領土不拡大を自ら無視したわけで、その意味では日本より新しい侵略者であるといえる。
ビルマとイギリスの関係も同じで、こういうことは「日本は侵略戦争をした」と一方的に非難されたときには、ぜひ思い出さなければいけない。それをいっても国際社会に通用するのか、というのは、日本が現に国際社会の有力な一員であることを忘れ、劣位戦思考に陥っている表れでしかない。物事を相対化し、自らの立場を少しでも優位に置こうとするのは、国家の振る舞いとして当然です。
上島 いかにも日本は大東亜戦争でビルマやマレー、インドシナ、フィリピンなどで戦い、そこで現地の人びとを戦火の巻き添えにしたことは否めませんが、日本はけっして現地の人びとを敵としたわけではない。そこに居座っていたヨーロッパと、アメリカと戦った。「アジア諸国に迷惑をかけた」という場合にも、その具体的な意味を踏まえる必要があります。
安倍談話に関する政府の有識者会議「21世紀構想懇談会」で座長代理を務めた北岡伸一国際大学長は、「日本は侵略戦争をした」「安倍首相に『日本が侵略した』といってほしい」「日本は侵略して、悪い戦争をした」といった発言を重ねましたが、東大名誉教授の伊藤隆氏が、ゼミの教え子でもあった北岡氏に向け、こう述べています。
「歴史上『侵略国』という烙印を押されたのは『敗戦国』ドイツと日本だけです。(略)侵略の定義というものはない。だから、唯一成り立ちうる定義があるとしたら、『侵略国とは戦争に負けた国である』。それしかない。侵略国イコール敗戦国。また、『侵略』を定義するなら、『侵略とは敗戦国が行った武力行使である』。それ以外に言い様がない」(『歴史通』2015年5月号「北岡君の『オウンゴール発言』を叱る」)
私もまた、「敗者の弁明は通らない」という「引かれ者史観」で日本全体を染め上げてくれるなといいたい。
戦後の日本人がそうした歴史観に立つかぎり、大東亜戦争は、「悪が正義に勝てるはずもない。無謀で、愚かな戦争だった」と断じざるをえないことになります。なぜ父祖たちは戦わざるをえないと考えたのか。さらに、戦う決断をした以上、そこに勝機を見出すことは本当に不可能だったのか。こんな問題意識から対談をお願いし、1冊にまとまったのが『優位戦思考に学ぶ―大東亜戦争「失敗の本質」』(PHP研究所)ですが、視点を変え、発想を広げて「劣位戦思考」ではなく「優位戦思考」から日本の戦争目的や戦争設計を考えてみると、あの戦争にいったいどんな可能性と意味が浮かび上がってくるか。これを日本人自身が知ることなく戦後を生きてきたという気がします。
更新:12月03日 00:05