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放送法論争、国民は怒っている

2016年06月17日 公開
2022年11月09日 更新

潮匡人(評論家/拓殖大学客員教授)

法律なのに法規範でない?

 だが、護憲派の認識は違う。4月13日付『朝日新聞』朝刊は「TBS批判 まっとうな言論活動か」と題した社説を掲載。逆ギレしたTBSのプレスリリースを「妥当な見解である」と擁護し「とりわけ安保法のように国民の関心が強い問題について、政権の主張と異なる様々な意見や批判を丁寧に報じるのは当然だ」とTBSを全面擁護した。他方「この団体は、放送法を一方的に解釈して組織的に働きかけようとしている」と批判し「見過ごせない圧力である」「まっとうな言論活動とはいえない」などと一方的に断罪した。内紛続きの“保守”陣営と違い、護憲派の結束は固い。身内に甘く、敵は容赦しない。党派性をむき出しにして、恥じるところがない。

「一方的に解釈」(『朝日』社説)というが、ならば放送法はどう解釈されるべきなのか。発火点となった2月8日衆議院予算委員会における高市早苗総務大臣の答弁から検証しよう。

「民主党政権時代からもそうですけれども、放送法第4条、これは単なる倫理規定ではなく法規範性を持つものである、こういった形で国会答弁をしてこられました」

 ところが、前述の岸井ら7名が呼びかけ人となり、《私たちは怒っている――高市総務大臣の「電波停止」発言は憲法及び放送法の精神に反している》と題した以下の抗議声明を公表した。

《(前略)高市大臣が、処分のよりどころとする放送法第4条の規定は、多くのメディア法学者のあいだでは、放送事業者が自らを律する「倫理規定」とするのが通説である》(呼びかけ人・青木理、大谷昭宏、金平茂紀、岸井成格、田勢康弘、田原総一朗、鳥越俊太郎)

 正しくは高市大臣が答弁したとおり。放送法4条はたんなる倫理規定ではなく法規範性をもつ。民主党政権下の平成22年11月26日、参議院総務委員会で平岡秀夫副大臣がこう答弁した。

「放送法第3条の2第1項で規定しているわけでありますけれども、この番組準則については、我々としては法規範性を有するものであるというふうに従来から考えているところであります。/したがいまして、放送事業者が番組準則に違反した場合には、総務大臣は、業務停止命令、今回の新放送法の第174条又は電波法第76条に基づく運用停止命令を行うことができるというふうに考えているところであります(以下略)」

 略した以下「けれども」と続き、「極めて限定的な状況にのみ行う」、「極めて慎重な配慮の下運用すべきもの」とも明言し、これまで運用実績がない経緯も付言したが、結論に変わりはない。つまり「運用停止命令を行うことができる」。そうした「法規範性を有する」。したがってたんなる倫理規定ではない。

 そもそも法律が法規範性をもつのは当たり前だが、なぜか先の7名には、それがわからない。民主党のリベラルな副大臣が答弁したときにはスルーしたくせに、安倍政権の大臣が答弁すると怒り出す。「憲法及び放送法の精神に反している」のは大臣ではなく、「怒っている」連中のほうである。彼らの存在自体が放送法を踏み躙っている。守るべき自由と法の支配、立憲民主政に反している。放送行政局長を含め放送行政を14年にわたり直接担当したのち、総務省事務次官などの要職を歴任した第一人者の解説を借りよう。

「放送は、不特定多数に対し同時に同じ情報を安価に提供可能であり、かつ家庭において容易に受信が可能であるという物理的特性から大きな社会的影響力を有しているとともに、特に無線の放送は、有限希少な国民的資源である電波の一定の帯域を排他的かつ独占的に占有している。したがって、公平及び社会的影響力の観点から公共の福祉に適合することを確保するための規制を受ける」(金澤薫『放送法逐条解説』情報通信振興会)

 

活字とテレビの違いがわからない人々

 たとえば国民保護法第50条は武力攻撃事態の「警報」放送義務を明記する。気象業務法第15条(警報)、水防法第10条(洪水予報)、日本赤十字社法第34条(救護業務に関する通信)、災害対策基本法第57条(警報の伝達のための通信設備の優先利用)も同様の条文をもつ。放送が法的な制約に服することに議論の余地はない。

 他方、活字にそうした制約はない。だから英米法(コモンロー)は、新聞その他の自由な活字媒体と、法規制に服する電波媒体(テレビ)を併存させてきた。平成日本の自称ジャーナリストらは、活字と電波の差異を認識していない。その一人、金平茂紀は朝日新聞デジタル(『ハフポスト』収録)のインタビュー記事でこう放言する。

「だれが偏向だと判断するんですか。お上ですか、政治家ですか。日々の報道が公正中立かどうかを彼らが判断できるとは思わないし、正解もない。歴史という時間軸も考慮しながら、社会全体で考えていくしかないでしょう。議論があまりにも粗雑過ぎます」(「テレビ報道、強まる同調圧力 金平キャスターが語るいま」聞き手=豊秀一・朝日新聞編集委員)

 なるほど誰が何を根拠に判断すべきか、難しい。だからといって、放送法を無視してよいという理屈にはならない。金平の主張こそ粗雑にすぎよう。議論にすらなっていない。リベラルな憲法学者の指摘を借りよう。

「社会全体としての利益がマスメディアの自由を支えている以上、その利益をよりよく実現するためには、マスメディアが規制を受けるべき局面も生じる」「ある番組がいかなる視点から編集・制作されているかを判断することが時に困難であるからといって、あからさまに特定の政党に加担した番組のみを放送し続けることが許されるとはいえない」(長谷部恭男『テレビの憲法理論』弘文堂)

 ぜひ右の指摘にも威勢よく反論してほしい。視聴者の会を批判したように……。どこが粗雑すぎるのか、教えてほしい。

 なぜ、放送の自由が規制されうるのか。電波が有限だからである。最高裁は「サンケイ新聞反論文請求事件」でこう判示した。

「放送事業者は、限られた電波の使用の免許を受けた者であつて、公的な性格を有する」(昭和62年4月24日)

 活字と違い、電波は有限である。だから放送法が認める訂正放送は新聞への反論権の根拠とならない、と判示した判決である。米連邦最高裁も「周波数帯の希少性」を放送規制の法的根拠としてきた。放送は免許制である。無免許放送は「1年以下の懲役又は100万円以下の罰金」となる(電波法第110条)。有限希少な資源である放送電波が、いまテレビ局の独占的な既得権益となっている。

 加えて、テレビ放送は大きな社会的影響力をもつ。放送とは「公衆によつて直接受信されることを目的とする電気通信の送信」である(放送法第2条・電波法第5条)。最高裁は公選法150条の2の規定について、こう判示した(平成2年4月17日・いわゆる政見放送削除事件判決)。

「右規定は、テレビジョン放送による政見放送が直接かつ即時に全国の視聴者に到達して強い影響力を有していることにかんがみそのような言動が放送されることによる弊害を防止する目的で政見放送の品位を損なう言動を禁止したものである」

 参院選をめぐる事件の判決である。国政選挙の政見放送ですら規制が受忍されうるのは、テレビ放送が「直接かつ即時に全国の視聴者に到達して強い影響力を有している」からである。同じことは平和安全法制の「報道」にも当てはまろう。日本のテレビ人は、自身の発言が「直接かつ即時に全国の視聴者に到達して強い影響力を有していること」がわかっていない。無責任な放言やウソを重ねて恥じることがない。「無線局の運用の停止」(電波法第76条)を視野に入れた議論が起きるのは止むを得ない。彼ら自身が招いた結果である。これ以上の放任は許されない。

 

放送にも市場原理を働かせよ

 ただ政府も認めるとおり、第一義的には自主規制によるべきであり、まずは行政指導が望ましい。それが功を奏しない場合、業務の停止(放送法第174条)の前に「その業務に関し資料の提出を求める」(同第175条)べきであろう。あるいは「無線局に関し報告を求める」(電波法第81条)のが先決と考える。それでも功を奏しない場合は運用停止を命じることになるが、万策尽きたあとなら、それも止むを得ない。それはおかしいというなら、大臣答弁ではなく、放送法および電波法の根拠規定自体を批判すべきである。

 なお、以上はアナログ時代の古い議論とも評しうる。デジタル時代の今日、電波の「有限」性は再考されるべきではないだろうか。

 お叱りを承知でいえば、放送免許に関する規制を撤廃(ないし大幅緩和)すべきと考える。同時に「放送の不偏不党」や「政治的に公平であること」を求めた放送法の規定も撤廃する。自由に番組を編成制作させる。たとえばアメリカ合衆国のように。

 必ずしも暴論ではない。なぜなら電波監理委員会規則「放送局の開設の根本的基準」は「放送をすることができる機会をできるだけ多くの者に対し確保することにより、放送による表現の自由ができるだけ多くの者によつて享有されるようにする」と定めた(第9条)。昭和25年制定の規則だが、デジタル時代のいま、あらためて原点に立ち返るべきではないだろうか。

 要するに、規制緩和による既得権益の打破である。たとえば“ホリエモン”のような新規参入を認める。自由市場とし、市場原理を働かせる。そうできれば、平和安全法制で徴兵制になるといった類の「報道」は自然に淘汰されていく。

 異論反論はありえよう。だが、公開討論を拒絶した連中に発言権はない。皆、筆とマイクを折り、メディアから退場すべきである。つねに安全な場所に身を置きながら、いくら威勢よく吠えても、すべて空しい。テレビに映る彼らの姿は卑しく、はしたない。(文中敬称略・肩書は当時)

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