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「お金をもらって喜ばない奴はいないんだよ」田中角栄の増長と妄想

2016年04月17日 公開
2016年11月11日 更新

屋山太郎(政治評論家)

角さんの政治はバブル景気と中選挙区制度が生んだあだ花にすぎない

「お金をもらって喜ばない奴はいないんだよ」

 

 石原慎太郎氏が近著『天才』(幻冬舎)のなかで、田中角栄を偉大な政治家と評価しているのには仰天した。田中氏は悪徳の衣を着た大政治家ではある。人間、最後は悪徳の衣を脱ぐものだ。その瞬間に人の見方は評価に変わるものだが、田中氏は最後まで悪徳の衣を脱いだことはなかった。

 私が政治記者を始めたころ、田中氏はもう自民党の幹事長一歩手前まで来ていた。私は朝から晩まで田中氏を見張る“田中番”を務めたが、この“番記者”というのはつねに田中氏の側に寄り付いて、政治情報や枢機に参画するベテランの番記者とは違う。田中氏について見たり、聞いたりしたことをデスクに報告する使いっ走りの記者である。

 角さん主催の祝賀会が椿山荘で開かれたときのこと。庭に組まれた大きな櫓の上で角さんが挨拶するにあたって、一人の着物姿の令嬢が大きな花束を持って階段を上ってきた。角さんは大ニコニコで花束を掲げつつ、下りようとした娘さんを呼びとめた。何をするのかと思ったら、懐から財布を取り出して1万円を出し、娘さんに「ご苦労、ご苦労」といって差し出したのである。娘さんは手を振って峻拒しているのだが、角さんは委細構わず、お札を握らせた。断ればお祝いを台無しにする雰囲気である。娘さんは全身に恥ずかしさが溢れていたが、膝をかがめて受け取った。聞いてみれば娘さんは出席していた財界人の娘さんで、いきなり花束を渡す役割を荷なわされたのだった。満座のなかで現金を渡されたのは初めての経験だったろう。

 私はあとで角さんに「娘さんは恥ずかしい思いをしたのではないですか」と耳打ちしたところ、「人はな、お金をもらって喜ばない奴はいないんだよ」と平然と答えたのには驚いた。このたった一つの場面に田中角栄の金銭感覚が表現されている。

 後年、私は田中角栄首相時代、官邸のキャップをやる巡り合わせになった。ニュージーランド、オーストラリア、ビルマ(現ミャンマー)三国を歴訪する“最後の旅”に同行することになった。ニュージーランドの上空から下を見下すと、ひたすら続く緑の草原である。あまりの美しさに息を呑んで見ていると、隣に来た首相が「あのへんは坪いくらだろう」というのに驚いた。この人は景色の美しさとか雰囲気にまったく関係なく生きていて、地面師のような感覚しかもっていないのだ、と思った。

 あるとき、無断で幹事長室に入っていったことがある。角さんは向こうを向いて日本地図に定規で熱心に赤線を引いていた。私が覗き込むと「ここにね、新幹線を敷くんだよ。すごいだろ」という。日本海側のことを当時「裏日本」といったものだが、角さんの夢は「裏」に光を当てることだった。このため新幹線や高速道路を日本列島中央の山を貫いて引きまくった。角さんの道路敷設案は自民党の鉄道建設審議会に諮って決めることになっていたが、つねに角さんのつくった原案どおりに決まる仕掛けになっていた。鉄道建設審議会の会長は党の総務会長が兼任することになっており、その総務会長には盟友の鈴木善幸氏(元首相)を充てていた。善幸氏によって田中原案はそのまま決まるのである。

 

公共事業の推進は“理想”だったか

 

 当時、参院議長をやっていた重宗雄三氏がいったものである。「オレたちは助平根性を起こして、この辺に鉄道やら高速道路が通ると思うと、山の中腹から海岸にかけて数十m幅の土地を買う。すると用地買収に当たった部分だけバカ高値で売れ、それで選挙資金をつくったもんだ」。自慢話をしているのかと思ったら「ところが角栄の奴はウナギの寝床のような土地を買い、そこに鉄道を串刺しだ。あいつにはかなわねえ」と悔しがるのである。

 当局が用地買収にかかると肝心の場所はすべて刎頸の友といわれた小佐野賢治氏(国際興業社主)が買い占めたあとだった、といわれた。このことを国会で問われた角さんは刎頚の友について「小佐野氏ではなく○○」と別の人物の名を挙げたことがある。事前に計画を漏らして買い占めておくというのは明らかな犯罪行為だが、その裏の役割を負う“専門家”がいたわけだ。共に首を刎ねられてもよいと思う陰の刎頸の友は、ほかにも何人かいたようだ。角さんは権力さえもてばパクられない、という信念をもっていた。

 角さんのいう「裏」と「表」を同じにすることを、自民党流にいえば「国土の均衡ある発展」という。結構なお題目だが、この壮大な公共事業の推進が、はたして角さんの“理想”だったのかどうかについて私はいまだに疑っている。日本は国家成長の過程で公共投資をやるべき時代だった。欧州ではとっくに済んだ仕事である。角さんは、じつは公共事業だけがやりたい。やればやるほど角さんの懐にカネが入ってくる仕組みが政治のなかに仕組まれていた。だから各県に一つずつ飛行場をつくったが、面倒な接続する道路も鉄道も考えなかった。

 田中氏は若いころから田中土建工業という建設会社をやっていたが、商売で財を成したとは思えない。目白の2000坪の邸宅や各地にもっている資産は政治家になってから取得したはずだ。記者会見でそのことを追及された角さんは「財産を成した経過と理由を国会の場で明らかにする」と言い置いて首相を辞めた。その弁明のためにかつての秘書官が集まって辻褄合わせをしたが、ついに完結しなかった。それどころか、辞めてなお子分を140人も集めることができた。まさに錬金術師というにふさわしい。田中氏が逮捕に追い込まれたのはロッキード社から受け取った5億円の端金のせいだが、土地に絡む係争で角さんは負けたことがない。

 角さんは辞任にあたって最後の記者会見に臨んだ。常日頃、秘書官が「これについては質問しないでください」と根回しに来るので、会見に先立ってこちらから「今回はチェックなしだぞ」と気合を入れておいた。私が聞きたかったのは一つである。

「総理はあちこちの土地の買収でスキャンダルに包まれていますが、政治家の倫理に照らして恥ずかしいことだと思いませんか」

 私は恥の観念について聞いたのだが、これに対して返ってきた答えは意外なものだった。

「私はね、この土地が欲しいと思えば隣に一坪買って、朝から晩まで鉦、太鼓を叩く、向こうの地主がイヤになって手放すというようなあくどいことはやったことがありませんよ」

 モラルを問うているのに、角さんは土地の売買の手法の話としてしか受け取れないのだ。それを報じた新聞の街のコメントに「まさに土建屋そのもの」というのがあった。

 角さんは道路と新幹線を遮二無二、つくりまくった。その過程で超大土地成金となった。そのカネで派閥を拡大し、子分数で総裁の座を獲得した。私は岸信介時代の末期に政治記者となったのだが、官界も政界も「田中角栄氏が総裁になることはない」と断言していたものである。理由は「叩けばホコリが出る」「官僚出身ではないからだ」という。官僚出身者がカネにきれいだったのは、官界に天下りがおり、財界に同期が居座っているから、ひと声かければカネはいくらでも集まったからだ。しかしそのカネで邸宅を建てるとか、自分のために使うなどはしなかった。池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫といった首相が住んでいた家はどれも官僚時代につくったままのみすぼらしい家だった。生活態度にも謙虚さが滲み出ていたが、角さんにはその種の教養のかけらもなかった。心はガサツそのものだった。こういう人はいくら権力をもっても尊敬する気にはならない。

 角さんがいまの日本を想定して、国土づくりに励んだと石原氏は見ているようだが、私にはそういう理想家だったとはとうてい思えない。当時は日教組の全盛時代で、偏向教育がまかり通っていた。いま安倍晋三氏は偏向の元となってきた教育委員会を改革して、将来的な手を打ったが、角さんの手法は「人材確保法」をつくって教員の待遇を2割増やしただけである。「カネを増やせばデモは収まる」というのだ。日教組は革命家を育てる、という意思で運動している。そういう意思をもった者が、カネで折り合いをつけるわけがない。偏向教育がまかり通る仕組みを変えることこそ重要だったのだが、角さんは「余分にカネをもらってデモをするはずがない」と考えるのである。

 総理になった角さんは、財政資金はオレのものとばかりに使いまくった。道路族や鉄道族の言いなりに予算をつけまくった。途端に猛烈なインフレに襲われ、政府は3割もの賃上げをせざるをえなくなった。政財界に強烈な角栄非難がほとばしった。慌てた自民党幹部は福田赳夫氏を担ぎ出して蔵相(現財務相)に据えた。福田氏は“角福戦争”で負けた側で角さんを嫌っていたが、それどころではないという非常事態だった。蔵相として担ぎ出された福田氏が下した診断は「日本経済全治3年」というもので、財政支出を締めてインフレを3年でぴたりと収めた。

 政治はしょせんカネで片がつくものだが、その裏に“精神”がないと、収まる話も収まらない。

<続きは『Voice』2016年5月号にてお楽しみください>

著者紹介

屋山太郎(ややま・たろう)

政治評論家

1932年、福岡県生まれ。東北大学文学部仏文科卒業。時事通信社に入社後、政治部記者、ローマ特派員、官邸クラブキャップ、ジュネーブ特派員、解説委員兼編集委員を歴任。1981年より第二次臨時行政調査会(土光臨調)に参画し、国鉄の分割・民営化を推進した。1987年に退社。2001年に正論大賞を受賞。最新刊に『それでも日本を救うのは安倍政権しかない』(PHP研究所)がある。

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