2016年03月16日 公開
2016年11月11日 更新
この2、3年、円安傾向にもかかわらず、日本企業による大型海外M&A(合併と買収)が続いている。2015年通年の日本企業による海外M&A金額は11兆円を上回り、前年の9割超の増加ペースで急拡大している。日本企業が成長性の高いマーケットでのシェアを上げるとすれば、海外M&Aは手っ取り早い方法であろう。
しかし、海外M&Aは買収合意を発表したときは大々的に報じられ、マスコミも囃し立てるが、買収を完了したあとで、当初の買収目的を実現できている案件はきわめて少ないのが実情である。
筆者はメガバンク勤務時より転出後の現在に至るまで海外M&Aの仕事に携わっているが、筆者の見たところ、日本企業による海外M&Aで買収後ただちに買収目的を実現できているケースは件数にして全体の10%程度ではないだろうか。買収後数年の努力のあと、ようやく買収目的の実現に至るのが全体の20%程度であり、これらを含めても成功率はせいぜい30%程度と思われる。
日本の大企業が、大型海外買収を誇らしげに発表したあと、ほんの2、3年で大失敗に終わり、巨額の損失を被っている例は枚挙に暇がない。またM&Aの失敗を隠し続け、減損損失を先送りしているケースも、東芝に限らないであろう。
日本企業による海外M&A失敗の原因を考察するため、公表された失敗事例を見てみよう。
第一三共によるインドの製薬会社ランバクシー・ラボラトリーズの買収では、デューディリジェンス(買収対象企業の実態を買収前に精査すること)で発見したリスクに対し適切な対応がなされなかった、と報じられている。買収完了前の段階でランバクシーの工場で生産した医薬品が、米国当局により米国への輸出を禁止されていたにもかかわらず、対応策が講じられず、かつ買収契約書に当該問題についての売り手責任が明記されていなかったという。
この結果、第一三共は買収後6年間で買収金額約5000億円の大宗を占める4500億円の損失を被り、最終的には所有するランバクシー株の全株を売却し、撤退する事態を招いた。買収完了を急ぐあまりにデューディリジェンスによる発見事項に対し、買収契約書で補償義務を明確にしておく等の対応を取らなかったことが致命傷の1つになったと思われる。
住設機器メーカーLIXILが2014年1月に買収したドイツ現地法人Joyou AGは中国で衛生陶器等の製造・販売を行なっていたが、買収後わずか1年5カ月で同社は破産手続を開始すると発表した。これに伴うLIXILの損失額は660億円と報じられている。Joyou AGは買収される前から周到な粉飾を行なっており、LIXILはデューディリジェンスで粉飾を発見できなかったとされる。
2013年7月、総合商社の丸紅はアメリカ第3位の穀物商社、ガビロンを2700億円で買収、丸紅の穀物部門と統合し、アメリカにおける穀物ビジネスを急拡大させる計画であった。
ところがガビロン買収による丸紅とのシナジーは計画どおり実現せず、買収後わずか1年8カ月後の2015年3月期決算において、ガビロン買収時の「のれん代(買収額と正味資産の差額)」1000億円のうち、500億円の減損計上を余儀なくされている。買収金額を大きくするため、買収後の利益見通しを楽観的に計上しすぎたためと推察される。
2月25日、シャープは台湾のOEMメーカー、鴻海への売却を取締役会で決議した。
鴻海は創業者1代で築き上げた世界最大のOEMメーカーではあるが、世界に通用する独自技術と自社ブランドはもっていない。
また中国大陸に工場が集中しているため、最近の中国経済減速の影響を受けているとも伝えられているし、1代で築いたワンマン経営ゆえ、中長期的安定性も不明である。
鴻海はシャープの液晶技術と世界に通用するブランドを獲得したかったのであろう。
株主が海外企業となる場合、M&A案件として注意しなければならないのは、株主企業の中長期的経営安定性と買収時コミットメントの確行である。シャープ取締役会による鴻海への売却決定はおそらく主力銀行の意向を反映したものと思われるが、鴻海の中長期的経営安定性と買収時コミットメントの確行については懸念が残ると思う。
日本企業のM&A失敗の原因はいろいろ考えられるが、筆者の海外M&A経験に基づく考察によれば日本固有の社会と文化に一因があると思う。
ここで強調しておきたいのは、筆者は日本固有の社会と文化を海外と比べて是非や優劣を論じるつもりはまったくなく、客観的事実として彼我の違いを認識し、これを日本企業によるM&Aに役立てようとする姿勢である。
筆者の論点は、最近はやりのグローバリズムに基づく日本ダメ論、日本変われ論ではなく、それぞれの民族が地政学上の環境において過去数千年に亘って培ってきた文明と、それに基づく行動の違いを認識することにより、日本企業の海外M&Aの成功率を高めようとするアプローチである。
日本企業の場合、M&Aや資本提携の対外交渉にあたり、相互信頼、共存共栄、長期関係の三原則を基本とすると考えられるが、外国企業は必ずしもそうではない。
筆者の経験では、外国企業はM&Aや資本提携の交渉時に、いかにしたら自社の利益を極大化できるか、相手の弱みは何か、相手企業に対してどのようにしたら優位に立てるか、という姿勢で交渉に臨む。支配・被支配関係を前提とした相互不信と警戒感が先立つのである。
こういう相手と交渉をする場合、日本人特有の相互信頼の精神だけでは思わぬ落とし穴に落ちかねない。M&Aの最初のプロセスであるトップ会談で、売り手の外国人社長に惚れ込んでしまう日本人社長がいるが、自分が惚れ込んでも、相手が自分のことを信頼して好きになってくれるとは限らない。当たり前のことだが、自分の会社を高く売りたいため、あるいは有利な提携条件を結びたいため、愛想よくしているケースがほとんどであろう。
日本では昔から「至誠天に通ず」という言葉があり、こちらが誠意を見せれば相手も必ず誠意をもって応じるという相互信頼の精神があるが、これはおそらく外国人と接したことのなかった日本人の言葉であろう。
何千年、何万年ものあいだ、土地を求めて異民族同士の殺戮を繰り返してきた一神教のユーラシア大陸の民族(およびその派生であるアメリカ)にとって、相互信頼の精神は育たないのである。
メソポタミアの粘土板の歴史書にも、ある日砂漠の彼方から砂煙を上げて異民族の大軍が押し寄せ、メソポタミアの都市国家を破壊し尽くし、住民を皆殺しにした史実が記録されている。13世紀のモンゴルによる中近東と欧州への進攻もその一例である。
異民族を見たら敵だ、という発想なのであり、その考え方は21世紀の企業行動においてもユーラシアの人びとのDNAに植え付けられ、基本的には変わっていないことを認識すべきである。
江戸時代以前より、近江(いまの滋賀県あたり)商人のあいだで「売り手よし、買い手よし、世間よし」という三方よしの商売哲学があった。今風の言葉でいえば、商取引にあたってすべてのステークホルダーが得するのが商売の大原則という考え方であった。
この考えは江戸時代に入って石田梅岩が心学として体系化し、「先も立ち、我も立つ」という共存共栄の利を共にする精神を日本中の商人に広めたのである。現在でも日本の伝統的な企業で、社是として取引先と従業員との共存共栄を原則としている企業はいくらでもある。
共存共栄の精神の基には、徹底した人間平等主義がある。日本ではこの世の人びとは皆平等である、と考えるゆえに富を分かち合うという精神が芽生えたのである。
これに対して、征服した異民族を殺戮したり、人権のまったくない奴隷として酷使したユーラシアの人びとには、一神教の教えもあり、そもそも人間平等という考えはなかった。有史以来、世界中の文明圏で奴隷制がなかったのはおそらく日本だけではなかろうか。奴隷制があったかなかったかで、その文明の人びとの振る舞いがまったく異なってくるからだ。
古代民主制といわれるギリシャの都市国家アテネでは、12万人の市民のほかに3万人の外国人と8万人の奴隷を使っていたことが記録されている。
「民主主義」といっても奴隷には人権はいっさい認めず、家畜と同様に酷使、虐待、虐殺していたのがギリシャの「民主主義」の実態である。
ローマ帝国に至っては、戦争で奴隷になった異民族の男をグラジエイター(「剣闘士」と訳されている)としてコロセウム(闘技場)に追い込み、同じグラジエイター同士をどちらかが死ぬまで剣で戦わせ、これをローマ市民が観覧席から高みの見物をして楽しんだ、という事実は読者もよくご存じのことであろう。奴隷は闘牛の牛と同様の扱いであったのである。
有史以来、ユーラシア大陸の国家と民族では戦争に敗れた人びとは、殺されるか、家畜同然で死ぬまで酷使されるという過酷な運命が待っていたのである。
この奴隷制を地理的に海外に拡大していったのが、西欧植民地主義である。16世紀のスペインによるインカ帝国征服を嚆矢として広がった西欧の世界中の植民地では原住民の人権はいっさい認められず、原住民はただ殺戮と搾取の対象であったのである。
つまりユーラシア大陸においては勝者のみが正義、敗者は家畜同然の奴隷とされたのである。
奴隷制の伝統に基づく勝者独り勝ちの精神は、アップル、グーグル、IBM、ウォルト・ディズニー等の多国籍企業が、徹底した節税スキームで税金の支払いを少なくし、この結果、積み増した利益を株主と経営者が山分けするという行動の原点となっているのである。
これは日本企業が長いあいだ培ってきた「三方よし」という、人間平等主義に基づいた互恵の精神と正反対のものである。
最近話題になっている人工知能やロボットに対する警戒感も、奴隷制度があった国と、日本のような人間平等主義が伝統である国では考え方が違うと思われる。ユーラシアの奴隷制度が長く続いた国では、ロボットを奴隷と捉え、奴隷、すなわちロボットの反乱を警戒する姿勢が根付いていると考えられる。
更新:11月24日 00:05