2015年06月11日 公開
2024年07月30日 更新
――仲のよさが象徴的な女子サッカーですが、選手同士で衝突することもありますか。
宮間 長く一緒にプレーしている福ちゃんことGKの福元美穂選手(岡山湯郷Belle)とはとくに意見が割れることが多く、一度ぶつかるとお互い譲りません(笑)。20代前半のころはその日中に話が収まらず、物別れしたまま帰ったこともありました。
もちろん本気で憎み合って喧嘩をしているのではなく、守備と攻撃というお互いの立場を理解しようと努めるからこそぶつかり合うのです。だから、解決策として、まずどちらかの意見に従ってやってみること。たまには福元選手の意見を取り入れてみたり、私の意見でプレーしてもらったり、そうやってベストな方法を一緒に模索しています。こうした衝突を何度も重ねることで、いまでは私も守備に貢献できるプレーが増えました。逆に福元選手も、攻撃面で私が何をするのがベストかを考えてくれるなど、阿吽の呼吸で連携する場面が多くなりました。
その連携が効果的に表れた試合が、昨年10月19日、プレナスなでしこリーグ(2014エキサイティングシリーズ)アウェイでのジェフユナイテッド市原・千葉レディース戦です。
――相手に3点先制されるも、4点取り返して勝利した大逆転劇でしたね。
宮間 後半に入ったときに、福元選手に「3点取られても10点取られても一緒だよ。私たちが点を取るから福ちゃんのポジションも押し上げてほしい」とお願いをしました。GKの心情からすれば、ラインを高く保った結果、相手に4点目を献上することは避けたいはずです。それでも彼女は「わかった」と即答してラインを押し上げたのです。作戦は功を奏し、相手から4点をもぎ取ることができました。得点や勝利は結果として付いてきたものですが、チームメイトととことん話し合ってきた過程があるからこそ、窮地に追い込まれた状況でお互い納得する選択ができたのだと思います。
――仲間を思いやる宮間選手の人柄が伝わってくる象徴的なシーンといえば、2011年ドイツW杯決勝で日本が優勝を決めた直後、敗れたアメリカのGK・ホープ・ソロ選手の元に真っ先に駆け寄ったことでしょう。同じように2012年ロンドン五輪準決勝でのフランス戦(2対1で日本が勝利)後には、フランスのカミーユ・アビリ選手と文字どおり膝を交えて話し合っていましたね(次ページ写真)。米NBCニュースでは「数分前まで死闘を演じたあと、勝者は敗者をいたわり、敗者もまたそれを受け入れている。精根をかけて戦ったあと、このオリンピアン(宮間選手)は真のスポーツマンシップを見せてくれた」と報じるなど、宮間選手のスポーツマンシップを世界中のメディアが絶賛しました。
宮間 二人は私がアメリカに移籍していた当時のチームメイトであり、大切な友人です。
私が幼いころ、サッカーの指導者だった父から「サッカーは一人では何もできない」と教わった言葉が、いまでも強く心に刻まれています。ボールがなければプレーはできないし、審判や対戦相手がいなければ試合が成り立ちません。サッカーに向き合うプレーヤーであれば、サッカーに関わるものすべてに敬意を払うのは当然です。サッカーは国同士の戦いで「武器のない戦争」ともいわれ、試合中は闘志を剥き出しにして闘わなくてはいけません。だけど試合が終われば、嫉妬や恨みを抱えたままではなく、全力で競い合った仲間として称え合うべきではないでしょうか。
――宮間選手にとってお父さまの影響は大きかったのですね。
宮間 最近になり、父のことをもっと知りたいと思うようになりました。私も子供にサッカーを教える機会があるのですが、すごく難しいと感じます。進学に悩んだり、思春期を迎えたりする子供たちと心を通わせるのはたいへんです。父は、教え子である中学生と真剣に向き合っていました。サッカーを教えるだけではなく、それぞれの選手に合った高校を探していたり、親にはいえない進学の悩みを聞き、その子に代わって親と話し合うことまでしていました。父がどうしてわが子のように教え子に接することができたのか素直に聞いてみたい。遠くないタイミングで話を聞ける日が来るのを楽しみにしています。
――最後に、将来の夢を聞かせてください。
宮間 子供たちにサッカーを楽しむきっかけを与えられる人になりたいです。子供のころ、グラスルーツ(草の根)活動の伝説的指導者であるトム・バイヤーさんのサッカー教室に通っていました。ボールタッチからパス&トラップ、クロスとシュートなど魔法使いのように的確に指導する姿に感動したのを覚えています。
そんな憧れの存在であるトムさんと昨年、『トムさんと宮間あやのサッカー・テクニックス』という練習用DVDを出すことができました。今年の4月からは朝の子供向けバラエティー番組『おはスタ』(テレビ東京系)内で、トムさんと子供たちにサッカーのテクニックを教えています。
このようにさまざまなかたちで、生活のなかにサッカーが根付いた文化や地域をつくっていきたい。地域でいえば、やはり岡山という地で、子供たちがサッカーに触れ合う機会を増やしていければ、自分がここに来た意味があるのかな、と考えています。そして、いずれは父のように子供たちにサッカーを指導することが私の夢です。
更新:11月21日 00:05