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李登輝 指導者とは何か(1)

2015年05月01日 公開
2022年12月15日 更新

李登輝(元台湾総統)

李登輝

※本稿は李登輝著『指導者とは何か』(PHP文庫)より一部抜粋・編集したものです。
 

危急時に必要な心の平静さ

勇気と同時に求められるのが、心の平静さである。予想外の危機のなかで、いかに心を落ち着けた状態を保てるか。これが適切な判断を下す基になる。

もっとも、若い指導者の場合、この境地に達するのはなかなか難しい。何事も経験であり、場数を踏むしかない。さまざまな困難にぶつかっているうちに、「こうなったあとには、こうなる」と、次第に先の状況が読めるようになっていく。そうなれば、心の平静も得られる。

心の平静を得るには、相手のペースに巻き込まれないようにすることも大事である。

かつて私が、台湾に総統の直接選挙制を導入しようとしたときのことである。当時、政権党だった国民党内では「党こそが国家である」という挙国体制の考え方がまかり通っていた。

「総統は党内の人間だけで選んでいればよい」と考える党員が多かったので、「なぜ、わざわざ他の党に権力が移りかねない制度を導入しなければならないのだ」と彼らは不満をもち、私に批判を浴びせた。

結局、台湾における総統の直接選挙制は、九四年七月に開催された全国代表大会で多数決により決定したが、このときも新制度に反対する一〇〇人もの党員が昼食を食べる間も惜しんで、私を罵倒しつづけた。

だが私は、相手の罵倒にまったく怯まなかった。彼らを眺めながら、

「なんとバカらしい。矮小な党内権力のことしか頭にない。結局は民が欲するところに従うしかない」と思いながら、黙って聞いていた。

平静の心を物語るものとして、次のような故事がある。

室町時代の武将で、歌人でもあった太田道灌が殺されるときの話である。刺客が「かかる時さこそ命の惜しからめ」、つまり「このようなときだから、おまえは命が惜しいのだろう」と上の句を読んだところ、道灌が息も絶え絶えに「かねてなき身と思ひ知らずば」と下の句を返したという。すなわち、「自分はいつでも死ぬ覚悟ができているから、命など惜しくはない」というのである。

瀕死の重傷を負いながら、これだけの余裕を保てるのは、まさに平静の心があるからであろう。

また、衣川の合戦における安倍貞任も、見事であった。天下無双の弓の名手だった源義家は、敗軍の将、安倍貞任を追い詰め、「衣のたてはほころびにけり」と呼びかける。ところがその声も終わらないうちに、安倍貞任は「年を経し糸のみだれの苦しさに」という上の句を返歌する。源義家はただちに引き絞った弓を緩め、貞任の逃げるに任せたという。

合戦の場にありながら、よくその場で名句が出てくるものだと感心する。本当に昔の武士は、精神が鍛えられていたのだろう。和歌までさっと出てくるのは並みの精神ではない。平生からさまざまなシチュエーションを考え、自分である程度の訓練をしていたのであろう。

危急存亡のときは、いつやって来るかわからない。だからこそ指導者は、そのときに備え、つねに心の平静さを保つように鍛えておく必要がある。

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