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国産LCC、就航2年目の挑戦〔2〕

2013年06月14日 公開
2022年12月21日 更新

井上慎一(ピーチ・アビエーションCEO)

《『Voice』2013年7月号より/取材・構成:夏目幸明》

業界レジェンドの本拠地へ飛ぶ

 夏目 そもそも、ピーチを立ち上げられたのは、どのようなきっかけがあったのでしょうか。井上さんは、ピーチの立ち上げ前はANAに在籍されており、現在でもピーチの株式の多くをANAが保有しています。そのあたりの経緯をお聞かせください。

 井上 2008年の1月8日、北京に駐在していた私に、(ANAの)「アジア戦略室長」という新しい部署に任ずるという内示が出ました。青天の霹靂でした。そして「すぐ帰ってこい」と、当時の山元峯生社長(故人)に呼ばれ、部屋へ入っていくと、社長は渋い顔で「LCCを立ち上げよ」と話し、こういわれたのです。「これからの日本は、どんどん生産年齢人口が減っていく。日本のマーケットに重点を置いたビジネスを展開したままでは成長は難しい。一方、海の向こうに目を転じれば、アジアにはこれから右肩上がりのマーケットがある。なんとか、その市場をとらなければならない。しかし、既存のビジネスモデルではコストが高いので、新しい市場は取りきれない。そこで新たにLCCを立ち上げ、3年以内に飛行機を飛ばせ」という内容です。その後「日本にいるな」といわれたことも覚えています。

 夏目 まずは海外で情報収集をせよ、という意味ですね。

 井上 ええ。いま、話していて思い出したシーンがあります。幕末に島津斉彬公(薩摩藩主)が、尊皇だ、攘夷だと騒いでいた西郷隆盛を庭へ呼びつけ、叱る場面です。斉彬公は、西郷に「尊皇だとか攘夷だとか、国の中ばかり見て騒ぐんじゃない」「外を見てみろ。世界がどうなるという認識がないまま日本のことを語るな」といったのです。

 夏目 そのときから、別の会社を興すという構想はあったのですか?

 井上 いえ、まったく五里霧中でした。そこでまず――これは私のパーソナリティかもしれませんが「どうせやるなら、失敗するかもしれないけれど、ANAではこうだったといった前例は捨て、思い切って挑戦しよう。全部、捨てよう」と腹をくくりました。そのうえで、ほかのLCCが何をやっているか勉強を始めたのです。

 夏目 具体的には、どのように?

 井上 最初は本や論文を読みました。しかし、ストンと腑に落ちる感覚がない。そこで、何のコネクションもないまま香港やシンガポールで行なわれているLCCのカンファレンスに行き、各企業のCEOレベルに話しかけ「ANAの井上と申します。LCCを研究しています。ちょっとお教えいただけませんか」と聞くところから始めました。

 夏目 成果はありましたか?

 井上 当然、相手にされませんでしたよ。しかし、諦めたら終わりと思ってしぶとく続けました。すると、ライアンエアーを立ち上げた、パトリック・マーフィーさんにお話を伺うことができたのです。彼はこの業界の“レジェンド”。いわば、新人の野球選手が長嶋茂雄さんにお会いするようなものです。話しかけるときは「みんなに断られたのに、まさかマーフィーさんにお話は伺えないだろう」と思いながらも、とりあえず行ってみたのです。すると「いま忙しいから」といわれたものの「もし興味あるならジュネーブ(スイス)のオフィスへ来るかい?」という言葉をいただいたのです。これは脈があるかな、と思い「ぜひお願いします」と返すと、ほんとうにレマン湖(ジュネーブ近郊の景勝地)のオフィスでお話を伺えたのです。「午前中くらい」という約束だったのですが、結局、夕方まで聞いてしまいました。

 さらには、一橋大学イノベーション研究センターの米倉誠一郎教授にもお話を伺うことができました。最初は「イノベーションの対極にある日本の航空会社の人間と話すことなどない」と厳しい言葉だったのですが、われわれの意図を伝えると、相手にしていただけるようになったのです。

 夏目 お二人からは、どのような話を聞けましたか?

 井上 マーフィーさんには具体的なLCCのビジネスモデルについてご教示いただきました。米倉先生には、心構えをお伺いしました。印象に残っているのは、バングラデシュの「グラミンフォンの奇跡」の解説です。祖国を貧しさから救いたいと考えたムハマド・ユヌス(元グラミン銀行総裁)は、祖国を貧しさから救うため、貧困者にお金を貸し付けて牛を買う資金を与え、ミルクを売って稼いだお金を返済に充ててもらう、というビジネスモデルを構築。同国の経済力を高めた。その後も彼はグラミンフォンを設立、経済的基盤が弱い人に携帯電話を買うお金を貸し付けた。結果、バングラデシュの産業は効率化を果たし、新しいサービスも生まれた――というストーリーです。

 夏目 内容は、よく存じています。ユヌスの成功秘話は日本でも多くの起業家を刺激していますね。

 井上 ええ。先生はこの経緯を話されたあと、私に「潜在需要を掘り起こしなさい」とおっしゃいました。私がとっさに「それは(経済が発展していなかった)バングラデシュだからできたことでは?」と反論すると、逆にこう一喝されたのです。「潜在需要は、どの国の、どの産業にも必ずある。社会をもっと豊かにせよ! それは日本の航空業界でも確実にできることだ」と。

 お二人に共通するお話もありました。私が米倉先生の前で、軽率に「失われた10年が~」といったとき、先生は「失われた10年という人間にイノベーションは起こせない。なぜ“失ってしまった10年”といわないのか」とおっしゃりました。また、マーフィーさんに「なぜ日本にLCCが根付かなかったのか」と問われたときに、私が「日本のレギュレーション(決まり事)が~」といった回答をすると、彼は私の話を遮り「で、君はそれに対し、何をやったのですか?」と穏やかに問いかけたのです。

 それから私は変わりました。自分でやる。一人称で語る。CEOであれば、当たり前のことかもしれませんが……。

涙腺が緩んだ“乗客からの手紙”

 夏目 その後、ANAを離れ、新たな企業としてピーチを立ち上げられた経緯をお教えください。

 井上 さまざまな方にお話を伺ったり、マーケティング調査などを行なったなかで、「LCCが開業しても、レガシーキャリアの乗客を奪うことはない」という結論が出ました。ビジネス客はさまざまなサービスが付帯しているレガシーキャリアを使い、LCCの顧客は、いままで「高くて飛行機には乗りたくない」と考える方たちです。「これぞ潜在需要を掘り起こし、社会を豊かにする事業だ」と手応えをつかみ、まずは立ち上げが正式に決まったのです。

 そのなかで別会社を立ち上げたのは、過去を捨てるためです。たとえば飛行場の建屋と飛行機の乗降口を結ぶ渡り廊下がありますよね。PBB(パッセンジャーボーディングブリッジ)といいます。これを使わず、お客さまにタラップ(階段)で乗降していただけば、運賃を数十~100円前後、下げられます。しかし、ANA社内では「雨の日はどうするのか?」といった反論があった。「傘を準備しておけばいい」といっても「それは失礼ではないのか?」といった声が上がる。

 夏目 もちろんレガシーキャリアにもよさがありますが、ピーチは逆のことをしなければ差別化できませんよね。

 井上 まさにそうです。過去のLCCの失敗例を調べていくと、レガシーキャリアのやり方に引っ張られ、差別化ができなくなってしまうパターンが多かった。そこでわれわれは新会社を設立し、ANAには株主として、少し遠くから見守ってもらおうと考えたのです。

 夏目 その後の1年間で、印象的だったことは何でしょうか。

 井上 まず、結果が出せたことがたいへん嬉しい。ピーチは「安い」というイメージで語られがちですが、就航率(予定されていた便が実際に運航された割合)も99%を超えており、レガシーキャリアと変わりません。約1%欠航した理由は、機材整備などの自社都合もありますが、大雪や爆弾低気圧など、天候によるものがほとんどを占めます。“目的地に行ける”という基本的な価値が、レガシーキャリアに比べ遜色ないレベルに達しているのは、素晴らしい結果だと思っています。

 さらに、嬉しかったのは、お客さまからお手紙をいただいたことです。北海道にお住まいの息子さんを訪ねたお母さまからでした。いままでは飛行機の値段も高いから、息子の部屋をたまにしか掃除してやれなかったけど、今後はもっと行けるから嬉しい、とおっしゃるんです。思わず、涙腺が緩みそうになりました。

 夏目 それは、素晴らしい報酬を手にしましたね。

 井上 じつをいうと、私の祖母は明治生まれで、まだ幼かった私に上杉鷹山や、東郷平八郎や、乃木希典の話を聞かせ、つねづね「弱い者を助けろ、強い者とケンカして、しかも負けるな」と言い聞かせてくれたんですよ。振り返ると、少しは「為せば成る、成らぬは人の為さぬなりけり」(上杉鷹山)ができたかな、と――。

 

井上 慎一

いのうえ・しんいち

ピーチ・アビエーションCEO

1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学法学部卒。三菱重工業を経て、1990年、全日本空輸に入社。北京支店総務ディレクター、アジア戦略室長(香港)、LCC共同事業準備室長などを歴任。2011年2月、日本初の本格的LCC、ピーチ・アビエーションを設立、代表取締役CEOに就任。


<掲載誌紹介>

Voice 2013年7月号

今月号の読みどころ
7月号では安倍総理ご本人への45分間ものインタビューが実現し、ほぼそのすべてを誌面に反映させました。なかでも飯島勲氏の訪朝でにわかに高まった拉致問題、喫緊の尖閣問題、靖国参拝、景気回復、消費増税、日台関係などをテーマに、さまざまな角度から切り込んでいます。

総力特集では、領土問題や歴史問題で緊迫する東アジア情勢を背景に、日本の置かれている立場を有識者の方々が分析。特集では、上向く方向にある実体経済を「リフレ景気」と名づけ今後の課題と行く末を紹介しました。
本屋大賞を受賞した百田尚樹氏の新連載「覚醒するクラシック」も、ぜひ読んでいただきたい企画です。

 

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著者紹介

夏目幸明(なつめ・ゆきあき)

ジャーナリスト

1972年、愛知県生まれ。早稲田大学卒業後、広告代理店に入社。その後、雑誌記者に。小学館『DIME』の「ヒット商品開発秘話 UN.DON.COM」や講談社『週刊現代』の「社長の風景」などを連載。
著書に『ニッポン「もの物語」』(講談社)『大停電(ブラックアウト)を回避せよ!』(PHP研究所)などがある。

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