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オーバーツーリズムと観光消滅の危機

2024年11月07日 公開

佐滝剛弘(城西国際大学教授)

佐滝剛弘

2024年のインバウンドが過去最多になると見られているなかで、どのような政策が求められるのか。いまのままでは、この国はお金よりも大事なものを失うことになる。異なる文化を寛容に受け入れるという旅の本質を見つめ直さなくてはいけない。(聞き手:編集部)

※本稿は『Voice』2024年11⽉号より抜粋・編集したものです。

 

「迷惑」という負のイメージ

――2024年のインバウンド(訪日外国人旅行)が過去最多になる、と見られています。現在の状況をどのようにご覧になっていますか。

【佐滝】たしかに足元では活況を呈しているけれども、観光立国・日本の土台はたいへん脆く、将来が危ぶまれます。

――えっ。なぜでしょうか。

【佐滝】一つの問題は、近年とみに指摘されるオーバーツーリズムです。限られたエリアの人気スポットに外国人観光客が殺到し、時には私有地に入って飲食や写真撮影を行ない、ごみを現地に捨てていく。局所的な事例をメディアがクローズアップしている側面も大きく、インバウンドの観光全体に「迷惑」という負のイメージが生まれてしまった。たび重なる報道により、京都から足が遠のいた日本人も少なくないでしょう。

日本人の国内・海外の総旅行者数は、コロナ禍の反動で需要が伸びたとはいえ、今夏(2024年7月15日~8月31日)は6975万人(対前年95.9%、JTB調べ)。前年比でほぼ横ばいで、回復したとは言い難い状況です。

加えて問題なのが、人手不足。コロナ禍で「観光は水物だ」と感じて観光業界から離れてしまった働き手が、いまだに戻っていない。旅館・ホテルの従業員から鉄道・バスの運転手まで人員不足が深刻で、サービスに悪影響が出始めています。

さらに大きな視点から見ると、温暖化をはじめとする気候変動が挙げられます。夏の風物詩である京都・鴨川の納涼床では今年、あまりに暑すぎて昼食の営業をやめたお店がありました。台風や線状降水帯の被害が全国でニュースになり、新幹線の運休や航空機の欠航が続くと、人びとは観光どころではない、というマインドに傾いてしまう。一方、一見温暖化と関係がないように見える近年の豪雪も、海水温の上昇に原因があります。

インバウンドを受け入れる地域のコミュニティから見ると、いまや住民にとって外国人旅行者は半ば邪魔者です。なかには「立ち入り禁止」「罰金を徴収」といった看板を私的に立てる光景も見られます。苦肉の策でやむを得ないところもあるとはいえ、景観や観光客の心情に与える影響を考えると行き過ぎの感があります。

――佐滝先生がスペインのバルセロナでご覧になった「観光客が街を殺す(EL TURISME MATA ELS BARRIS)」の垂れ幕は、排外主義の最たるものです。

【佐滝】観光客が厄介者と見なされて本来、楽しいものであるはずの旅行に悪いイメージが付着してしまったのは大問題です。政府も業界も目先のインバウンド収入だけを追っていては駄目で、「経済性」「住民の生活」「環境」の三つがバランスよく回る仕組みを講じなければいけない。経済性だけを重視して地域の生活が脅かされるようであれば、観光業の持続的な発展はありません。

 

文化の違いに対する非寛容

――オーバーツーリズムの弊害としてとくに目につきやすいのが、ごみのポイ捨てです。外国人に限ったことではないとわかっていながらも、観光地の路上で食品のプラスチック容器やペットボトル、たばこの吸殻などを目にすると、やはり不快な気分になります。

【佐滝】私たち日本人はポイ捨てに対する嫌悪感が、他国に比べて格段に強い国民といえるでしょう。日本の街は海外の街と比べて、ごみが極端に少ない。背景にあるのは、教育です。小学校から教室で掃除・ごみ拾いを奨励・実行し、仏教における「修行としての掃除」「掃除は心を清める」という修養・倫理観が学校教育まで浸透している。世代を問わず「ごみを捨ててはいけない」という習慣が身についています。

一方、ヨーロッパではごみを片付けるのは、清掃員が行なう「仕事」であり、自らごみを拾おうという考え方は希薄です。どちらがいいか悪いかではなく、考え方や文化の違いといえるでしょう。

観光とは、異なる文化を知ることです。したがって外国人が日本の文化と多少、異なる振る舞いを行なったからといって、過度に目くじらを立てるのはよくない。もちろん清潔な街並みを見て、ごみをむやみに捨ててはいけない、と気づいてもらうことが重要なのはいうまでもありません。

「観光立国」の最大の目的は、日本を訪れた人によい印象をもってもらい、いざというとき味方になってくれる国を一つでも多く増やすこと。たんに目先の経済だけの話ではないのです。日本という国を知ろうとして訪れてくれた外国人が、母国に帰って「日本はよかった」と語ってくれることが大切です。反対に私たちが外国人の文化や振る舞いに対して非寛容や排除を続ければ、やがて同様の仕打ちとなって返ってくるでしょう。

日本はやはり「無言の圧力」の国で、「他人に迷惑を掛けてはいけない」という規範が、多数派と違う発言や行動を禁じるバイアスにつながっている。国内の同調圧力が自国民はおろか、外国人にまで及ぶとしたら、日本の対外イメージを下げることになります。

そもそもの話として、旅行には見知らぬ土地を訪れて羽目を外す、という側面があります。

――旅の恥は掻き捨て、といいますからね。

【佐滝】私たちや親の世代は、職場で団体旅行へ行って旅館の大広間でどんちゃん騒ぎの宴会をする、という光景が当たり前でした。当時はある程度、無礼講が許されていたわけです。

まして海外から来る旅行者は日本の習慣やマナーを把握しているわけではないし、逆にすべてに通暁していたら旅をする意味がありません。観光というのは、訪れる側と受け入れる側がお互い未知の文化と接することに意味がある。したがって受け入れる側はある程度、相手との文化の違いを許容しなければいけません。

観光客のマナー違反が許されなくなってきた背景として、メディアやSNSの影響はたいへん大きい。たとえば京都市内のツーリストによるバスの混雑はすっかり有名になりましたが、地元の人がバスに乗れないほど混むのは京都駅と主要な観光地や宿泊エリアを結ぶ路線だけ。すべてのバスが観光客に占拠されているわけではありません。同様に神社・仏閣も混雑を極めるのは一握りです。

――報道による切り取り、印象操作。

【佐滝】テレビカメラは、空いているバスの車内や観光地は映しませんから。ごみのポイ捨ても同じで、テレビはごみが散乱している箇所を集中的に撮り、きれいな場所は報じない。昨今はマスメディアに加え、個人のSNSでわずか一枚の写真が世界へ瞬時に広まり、オーバーツーリズムの問題が拡張する怖さがあります。

東京都渋谷区では今年10月から、夜間における渋谷駅周辺の路上、公園での飲酒を通年で禁止することになりました。発端はやはりSNSで、ハロウィーンや大晦日のカウントダウン時、渋谷センター街周辺でお酒を飲む若者たちの姿が世界中に流れました。そこから「渋谷に来れば飲酒がOK」とばかりに外国人のあいだで評判になり、情報が拡散されてしまった。

たしかに日本は深夜もコンビニエンスストアでアルコールが買える「お酒天国」ですから、路上飲みの聖地になるのは必然でした。急速なSNSの拡散に対する対応として、渋谷区が「路上飲酒禁止」という条例制定に動いたわけです。

自治体が独自の判断で一律の全面禁止を行なうのは、観光立国のあり方をトータルとして考えた場合、必ずしも好ましいとはいえない。ネット上の意見は極論に振れやすく、非寛容な空気を助長するところがあります。

以前、オランダのアムステルダムでも民泊を行なう観光客の騒音やごみが問題になり、2015年から数々の規制が設けられました。中心市街地の民泊を禁じ、ビールを飲みながら街を回れる自転車「ビール・バイク」も禁止にしました。しかし結局、アムステルダムの観光客はいっこうに減らず、オーバーツーリズム問題の解消には至りませんでした。

――たばこについても、日本の一部の自治体で路上喫煙が禁止ということを知らず、屋外で吸っている外国人を少なからず目にします。

【佐滝】これも文化の違いで、日本はたばこに過度に厳しく、野外で吸えない。反対に、西欧はお酒に過度に厳しく、野外で自由に飲めません。夜間にお酒が買えないのはもちろん、オーストラリアに至ってはお酒売り場は入口からして異なります。最初から成人しか、お酒売り場に入れないようになっている。通常の食料品とは完全に別物扱いなのです。

たばこに関しても、文化や規制のあり方は国によって異なります。日本では昔はどこでもたばこを吸えたけれども、まず屋外での路上規制が行なわれ、のちに屋内で規制されるようになると、喫煙者は吸う場所がなくなってしまった。私の勤める大学でも、狭い喫煙コーナーに教職員も20歳以上の学生も軒並み閉じ込められ、窮屈そうにたばこを吸っています。

――何だかかわいそうですね。

【佐滝】他方、日本ではお酒を売る場所や飲む場所はもとより、飲酒という行為自体に寛容です。飲みすぎて終電を乗り過ごす人や、酔っ払いがラッシュの電車内で寝ている光景が許されている。ギャンブルも同じで、博打は駄目といいながら、競馬・競輪などが公然と認められています。

――パチンコ大国でもあります。

【佐滝】駅前の繁華街の一等地をパチンコ店が占める光景も、ちょっと世界に類がないと思われます。

いずれにせよ、ドメスティックな条例で飲酒や喫煙を禁じたとしても外国人には伝わらないし、一律の全面的な取り締まりで文化の違いという問題の根本が解決することはないでしょう。仮にポイ捨てを防ぐためにごみ箱を増設したとしても、増やしたごみ箱を誰の費用負担で管理し、ごみを回収するのか。簡単に解決できる話ではないと思います。

 

コミュニケーションを排除する看板

――ごみやお酒、たばこについて、多言語表記の看板を増やせばポイ捨てなどのマナー違反は減りませんか。

【佐滝】看板については、どちらかというと私は反対ですね。もちろん日本語は特殊な言語で、英語を中心としたサポート表記はある程度、必要です。しかし、いたずらに看板や案内を増やせばよいというものではない。たとえば私が海外に行ってレストランで完全日本語対応のメニューを見せられたら、親切と感じるどころか「観光客価格でぼったくられているのではないか」との懸念を抱きます。

クレーム対応や禁止の看板であれば、なおさら印象がよくない。なぜなら、看板や垂れ幕というのは「コミュニケーションを排除して他者の行動を禁止、指示する道具」だからです。

――対話をしない日本社会のあり方を、外国人にまで押しつけている。

【佐滝】私たちが海外旅行へ行くにあたっては、短期の言語習得は不可能にせよ、事前にガイドブックや会話集などを読んである程度、旅行先の国について勉強して準備するでしょう。異国の人と話して言葉が通じるかどうかを試すのも、旅の一部。ぎこちないながら最低限のコミュニケーションを自分で図るのが「異文化に触れる」ことです。

したがって、日本の街を禁止の看板だらけにすることは、外国人にとっては何ら有益ではない。親切にするほど「大きなお世話」で、旅行の本質からどんどん外れていく。マナー違反を指弾しないと外国人を迎えられないのであれば、観光立国を名乗るべきではありません。

 

DMOが観光を救う

――2025年の大阪・関西万博では開催にあたり、路上喫煙や放置自転車を根絶しようとする動きが行政にあります。

【佐滝】オリンピックの前に街をきれいにしようとする発想と、根は同じですね。パリのオリンピックでも、街の美化という名目でホームレスを会場付近から追い出すなど、立派なお題目の下で弱者を排斥する向きがありました。現実にいる喫煙者や自転車の利便性に目をつぶって対症療法を貫こうとすると、本当の問題が見えなくなってしまう。

個人的に万博のようなイベントは好きですが、聞くかぎり大阪・関西万博はアトラクション要素が少なく、あまりワクワクしない。ツーリストからすればUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)に行ったほうが楽しめそう、というのが本音ではないでしょうか。

――行政による一律全面の規制ではなく、民間の知恵で観光客のマナーを改善する手立てはありませんか。

【佐滝】近年、観光業界ではDMO(DestinationManagement Organization、観光地域づくり法人)と呼ばれる受け入れ主体型の観光が始まっています。DMOの最大の成功例の一つが、和歌山県の熊野古道。静謐な森に囲まれた道を歩くには、団体旅行より個人旅行のほうがはるかに適しています。

スーツケースなど荷物を次の目的地まで別途マイクロバスで運んでくれるサービスも生まれ、アウトドア好きのオーストラリア人やニュージーランド人、スピリチュアル好きのフランス人のあいだで好評を博しています。

DMOのポイントは、観光客を大事にするだけではなく、地域にとって「来てもらいたい観光客」を選んで呼び込むアイデア、施策にあります。地域を訪れるツーリストとコミュニケーションの接点をアレンジし、地元の人しか知らない自然や郷土食、芸能、風習などを体験してもらう。地元の人も歓迎できるプランを提案することで、軋轢も少なく、かつ異文化と触れ合うという旅行本来の目的にかなうわけです。

かつてのように旅行代理店主体のマス営業ではなく、旅行者と個別にきめ細かなやりとりができるので、現地の文化やマナーも、双方のコミュニケーションのなかで伝達できます。オーバーツーリズムの問題から観光を救う一つの方法といえるでしょう。

 

お金よりも大事なもの

――要は観光も飲酒、喫煙も文化ということですね。

【佐滝】ごみの話にせよお酒やたばこの話にせよ、結局は各国が背負っている文化のズレが、インバウンドの増加によって表面化しているわけです。日本が国策として観光立国を掲げている以上、オーバーツーリズムの解決を自治体や民間任せにするのは怠慢です。

政府が文化的な視点を踏まえた方針を打ち出さないかぎり、「なぜここでお酒を飲んではいけないのか」「なぜたばこを吸ってはいけないのか」という外国人の不満が募り、混乱に拍車がかかるだけではないでしょうか。

日本人が異なる国の文化を知ろうとしないのは、国の将来に関わる大問題です。私が近著『観光消滅』で警鐘を鳴らしたのは、インバウンドがこれほど増えているのに、アウトバウンドが増えていないこと。海外から日本へ来る人の数と日本から海外へ行く人の数は2015年を境に逆転し、いまや2.5倍もの差がついています。

円安でインバウンドが増える半面、同じく円安によって日本の高校生や大学生が修学旅行、海外旅行へ行けない。コロナ禍以降、若者の海外に対する関心は薄れ、日本人のパスポート所有率(2023年末時点)はわずか17%。海外渡航に対する意欲の低下は、「失われた30年」の低迷と無関係ではありません。

たしかに経済の収支だけを考えれば、インバウンドが多く、アウトバウンドが少ないほど日本は儲かります。しかしいまのままでは、この国はお金よりも大事なものを失うことになる。

ご承知のとおり日本という国は食料自給率が低く、エネルギーを海外に頼らざるを得ない。国際関係が国民の暮らしの生殺与奪を握っているにもかかわらず、人びとが海外のことを知ろうとせず、異なる文化とコミュニケーションを取ろうとしない。観光を通して私たちが世界とつながっていることを、そして世界とつながらなければ生きていけないことを確認する、そんな交流の場になればと願っています。

 

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