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NIMBYと社会的施設のジレンマ

2024年09月06日 公開

土屋雄一郎(京都教育大学教授)

土屋雄一郎

廃棄物処理場や原子力発電所、喫煙所など、必要性は理解されても、自分の「裏庭」にはつくってほしくないという問題に対して、どのように考えるべきなのか。重要なのは、合理的な「理解」を求めるのではなく、反対派の「気持ち」を変えることだ。(聞き手:編集部)

※本稿は『Voice』2024年9⽉号より抜粋・編集したものです。

 

必要性がなければ存在しない

――近年、廃棄物処理施設や原子力発電所、外国人在留支援センター、喫煙所、保育園、自衛隊や米軍の基地など「必要性は理解できるけれど、自分の裏庭にはつくってほしくない」(NIMBY=Not In My Backyard)という問題が見られます。廃棄物処理施設をはじめ、全国各地でNIMBYをめぐる施設の調査・研究を続ける土屋先生の目には、どのように映っていますか。

【土屋】施設の社会的な必要性は理解できるけれど、自分の裏庭にはつくってほしくない、という態度や考え方について、私が達した結論はシンプルなものです。

いまおっしゃった廃棄物処理施設や原子力発電所、外国人在留支援センター、喫煙所、保育園や基地は、社会的な必要性がなければ存在せず、問題化しえない。裏を返すと、こうした施設は絶対に必要だということです。

NIMBYというのは批判的、ネガティブに捉えられがちな言葉です。しかし施設の是非を考える際に、その施設を必要とする理由や背景を併せて考えることで、社会の仕組みをより深く理解することができます。

たとえば廃棄物処理施設について、ごみ処理場が生活に必要な施設であることは世界中、論を俟ちません。どこかに処理施設をつくらなければ、ごみが溢れて私たちの暮らしが崩壊してしまいます。したがって、問題は「どこにどうつくるのか」です。

 

「見えなくなってしまうこと」が問題

――これもまた難題ですね。

【土屋】昭和のように日本の財政に比較的、余力があった時代には、廃棄物処理施設や原子力発電所の建設を引き受けた自治体に多額の補償金を施すことで、地域が潤って雇用が生まれ、行政と住民が相互に納得を得ることができました。しかし財政難の現在、お金で片をつけるやり方は難しく、住民も納得しない。

それでも廃棄物処理施設の建設を受け入れるところがあるとすれば、極度の財政難や過疎化に苦しむ自治体です。NIMBYの問題が伴う施設をあえて誘致することで補助金や税収を得て行政サービスが向上し、財政破綻から脱するきっかけができる。文化施設やスポーツ施設をつくる余裕も生まれてくるわけです。

近年、廃棄物処理施設を誘致する手法の一つは「公募型」合意形成と呼ばれるものです。企業誘致のようなかたちで廃棄物処理施設の誘致を公募し、焼却施設やリサイクル施設、最終処分場、地域還元施設を含むごみ処理場を建設する。さらに余熱の利用などを行なうことで、環境に配慮した「まちづくりの拠点施設」としてPRにつなげた例があります。

――厄介払いされがちな施設のポジティブな面を打ち出し、地域を活性化させる逆転の発想ですね。

【土屋】とはいえ、経済的に弱体化した自治体に廃棄物処理施設が集まり、都市で出たごみを地方が処分する、という片務的な構造は変わりません。最も大きな問題は、NIMBYと呼ばれる施設が地方に偏在化していくと、大都市に住む人の目から「見えなくなってしまうこと」です。

廃棄物処理施設というのは、身近な場所にあることではじめて住民がごみ問題や施設の意義について考えることができます。

処理施設が地方に偏ると、大都市から出たごみがひたすら「見えない」地域へと運ばれつづけるということになり、都会で暮らす人は当事者意識を失ってしまう。毎日、消費してごみを捨てるだけで「自分の捨てたごみがどこへ行くのか」にまで思いが至らない。結果として社会のリスクと負担のバランスが崩れ、地域格差をさらに助長する恐れがあります。

――廃棄物処理施設や原子力発電所の誘致に対しては一時期、市民による反対運動が盛んでした。近年はいかがですか。

【土屋】いつの時代にも、NIMBYを訴える反対運動は起こるものです。しかし「環境保護」を理由に廃棄物処理施設や発電所の建設にいくら反対しても、現実に「ごみをまったく出さない社会」や「エネルギーを使わない社会」をつくることは不可能です。

人間の生活とごみや電気の存在が不可分である以上、「あなたの出したごみをどこで処理するのか」「誰が電力をつくるのか」という問いに直面せざるを得ない。この点に運動の限界があります。施設の建設に反対する人のなかには、外部から入る活動家も少なからずいます。彼ら、彼女らはたとえ反対運動に失敗したとしても、帰る場所があります。

しかし残された地域には、建設をめぐる対立で生まれた傷が残ります。住民同士の絆が完全に壊れてしまい、修復に膨大な年月を要することも珍しくない。コミュニティを分断させず、地域に有益な施設をつくることは至難の業です。

 

民主性、科学性、公開性では納得しない

――反対派との軋轢、対立を乗り越えるには、何が必要なのでしょうか。

【土屋】たとえば施設の建設にあたり、よく「地域の住民に理解してもらうことが大切だ」といいます。しかし過去の例を見ると、「理解」を求める合意形成はむしろ失敗に終わることが多い。

平成13(2001)年、長野県・中信地区で廃棄物処理施設の建設が計画されたことがあります。検討委員会が発足し、環境工学者の原科幸彦・東京工業大学教授(当時)が委員長を務めて民主性、科学性、公開性に基づく合意形成を徹底しました。

長野県の中信地区は、日本アルプスの水源が通る地域です。県内はもちろん、他県にも影響が及ばないように綿密な環境アセスメント(調査・評価)を行ない、設立予定地を定めました。地域の住民には公開の場で十全な説明を行ない、建設の社会的必要性に対する理解を求めました。

――お手本のような合意形成のやり方です。で、結果はどうなりましたか。

【土屋】計画は完全に頓挫しました。

――えっ?

【土屋】検討委員会のスタンスは「最初に建設ありき」ではなく、ごみ減量の徹底を議論したり、反対の立場の人を含めた公聴会を開いたりするなど、他に類を見ないほど丁寧な手続きを進めました。にもかかわらず、住民の納得は得られなかった。

その後、中信地区の検討委員会の例を参考に現・安曇野市、旧・豊科町で別途、廃棄物処理施設に関する調査が行なわれ、中信地区で検討委員会が発足するきっかけをつくった場所が再度、選ばれました。しかし住民からすれば一度、NOを表明した場所を再び掲げたことへの感情的な反発が強く、処理施設の建設はついに実現しませんでした。

――なぜ、うまくいかなかったのでしょう。

【土屋】NIMBYに関わる施設の問題は、「理解」ではなく「納得」を得ないかぎり、解決しません。前述した検討委員会のメンバーには反対派が含まれており、彼らにとって「合意」は妥協を意味します。要するに、最初から「廃棄物処理施設はつくらない」という選択肢しかないのです。

したがって、どれほど丁寧に説明して民主的、科学的な手続きを踏んでも、最後の最後で反対に回ってしまう。長野県の事例は、私たち学者の考える合理的な合意形成の手続きが、必ずしも有効ではないことを明らかにしました。結局のところ、理屈だけで賛同を得ることには限界がある。最後は行政が責任をもってある程度、強権を発動して建設を進めるしかありません。

 

喫煙所は増やすべき

――NIMBYの問題を考えるうえで、喫煙所という施設についてはいかがでしょう。社会的に必要であり、かつ駅前や商業地など「見える」場所が多い。それゆえに軋轢も大きいわけですが。

【土屋】私自身は、父がヘビースモーカーでやや辟易していたこともあり、たばこを吸いません。昭和の時代を振り返ると、父や私の世代には「たばこを吸うのが大人の証」というイメージがあります。テレビを見ても映画を見ても、たばこを格好よく呑むシーンが頻繁に映っていた。いまでは失われた光景です。

吸わない側の立場から見ても、喫煙所を増やすのはよいと思います。街の中でわかりやすい場所に喫煙所があり、喫煙者が安心してたばこが吸える状態は、路地裏やコンビニエンスストアの隅で隠れて吸うより、社会全体にとって有益だと思われます。たばこを吸う人は税金も余計に払ってくれますし(笑)。

――おっしゃるように、敷地内のどこでも喫煙できないと皆、外でこっそり吸うようになり、煙や吸殻でかえって近隣の環境を損なうケースがある、と聞きます。

【土屋】「吸う」「吸わない」の二者択一ではなく、「人間、たばこを吸いたいときもあれば、吸いたくないときもある」「吸いたい人もいれば、吸いたくない人もいる」というぐらいの中間、中庸の姿勢が望ましいのではないでしょうか。物事を善悪の二元論で決めると、社会のバランスが崩れる気がします。昨今は大学も敷地内全面禁煙が増えていますが、私のいる大学のキャンパスにはまだ喫煙所があります。

――時代の変化だから喫煙所をすべて潰す、という考え方は何か腑に落ちないところがありますね。そういえば近年、東京都内では駅の構内からごみ箱が撤去されています(JRを除く)。ごみの持ち帰りを強制した結果、数少ない飲料自販機の脇に備えつけのリサイクル用容器入れは関係ないごみで溢れかえり、ポイ捨てが散見されます。

【土屋】たばこや食料品などの商品を販売している以上、駅の敷地内のどこかに灰皿やごみ箱があってしかるべきでしょう。身の回りからごみを追いやり、遠ざけようとするほど、かえって目に見えるかたちで溜まっていく。

NIMBYの問題を考えるうえで最も根本的な態度は、「見えないものについていかに考えるか」。いたずらにたばこやごみを厄介払いする姿勢は、見えないものに思いを致す想像力や思考を奪うことにつながります。

――また現在、大阪市は大阪・関西万博のテーマに「健康」を掲げており、2025年1月までに市内の路上をすべて喫煙禁止にするそうです。ところが喫煙所の数は思ったほど増えず、路上喫煙はいっこうに減らない。大阪市環境局がアンケートで「路上・公園・広場で喫煙する」と答えた人に理由を聞いたところ、「近くに喫煙所がないからそこで吸っていた」人が72.9%。大学の敷地内全面禁煙と同じ構図です。

【土屋】そもそも、万博があるからすべての路上を全面禁煙にするというのも、よくわからない話ですね。万博の会場と市内の空間を区別して考えているのか、いないのか。

――結局、「健康」という大義名分が大きいんでしょうね。大阪・関西万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」ですから。

【土屋】「いのち輝く」というのであれば、たばこを吸う人も「いのち輝く」ように配慮をすべきでしょう(笑)。「健康」や「環境」をめぐる活動全般にいえることとして、美辞麗句のスローガンは真の問題を覆い隠してしまう。きれいな言葉を添えてテーマを広げるほど、事態の本質が見えづらくなるところがあります。

たとえば、原子力発電を「環境に優しいクリーンエネルギー」とアピールする人がいます。たしかに石炭火力発電所に比べてCO2の排出量は減るものの、それはあくまでも発電時に限った話。放射能や使用済み核燃料が超長期的に自然に及ぼす負荷やリスクを考えれば、とても環境に優しいとはいえません。

廃棄物処理施設についても、有害物質を抑制する最新型の焼却施設ほど規模が大きくなるので、一つの地域にごみが集約されて環境負荷が集中してしまう。喫煙所にしても、一カ所に集中するほど煙が充満して健康リスクが高まるわけです。

――喫煙所を増やすには、どうすればよいのでしょうか。

【土屋】廃棄物処理施設の建設と同様、最後は行政が前面に出るしかないでしょう。社会的な必要性があると判断したのであれば、喫煙所の増設を粛々と行なうべきです。反対意見を恐れる必要はありません。

もし判断が誤っていたら、修正すればよいだけですから。行政がなかなか決断できないのは、「絶対に成功しなければならない」「間違ってはいけない」という思い込みがあるからです。

――官僚的な無謬性というやつですね。法律や条例にも同じことがいえます。過度な規制が現実にそぐわなければ改正すればよいのに、変えようとしない。

【土屋】政治家が本気で変える気になれば法律はすぐに変わるし、行政が決める気になれば建設はすぐに決まります。「対話を通じて相互理解をめざす」という姿勢は、じつは失敗を恐れて責任を回避しているだけの可能性がある。それではいつまでたっても物事は動きません。

 

「情のフォロー」が必要

――強権の発動以外に、反対派の納得が得られる方法はありますか。

【土屋】参考になる例を一つ挙げると、石川県の輪島市に大釜という集落があります。村を立て直すために企業や工場の誘致をいくつか試みたのですが、立地上の不利からいずれも失敗に終わっていました。

ところがあるとき、産業廃棄物処分場の計画を知った人が動いて処分場の誘致に成功します。計画が始まったときから住民は立ち退きを迫られ、村は終わりを告げることになる。いわば60年かけて自分たちの集落を埋めていくような話で、当然、反対する住民が出てきます。

そこで開発会社は何をしたか。建設地区の周辺に事務所を建て、関東にある本社から常駐の社員を複数人、派遣して住まわせたのです。しかも異動や交替はなく、同じ人が同地域に住み続けました。村のお祭りなど人手不足のときは積極的に手を貸し、地元に貢献する。時間をかけて住民と仲良くなることで、徐々に信頼を得ていったのです。

最後は「あいつがいる会社なら、まあ仕方ないか」と、産業廃棄物処分場の建設に「納得」してもらった。行政に同じことができるかといえば、おそらく無理でしょう。「仕事だからやっている」という本音が伝わってしまう。住民の納得を得るにあたり、施設の必要性や合理性を訴えるだけでは駄目で、いかに現地の人と交流して「情のフォロー」を行なうか。

保育園を建設する場合も、最初から「子どもは未来の宝だから、保育園をつくるのは当然」という前提で話を進めると、「いきなりよそから来て、何を勝手なことを」と反発を買ってしまう。

必要なのは共感を得るための振る舞い、言葉遣いであり、相手との接点を探る姿勢です。地元の人と一緒に酒を飲み、催し物に参加して地域に身を捧げる。こうした行動が、最終的に人びとの気持ちを変えて事態を動かすわけです。行政にそうした芸当が無理であるとしたら、喫煙所と同様、半ば強権的に設置を進めるのがむしろ正しいやり方である、と私は考えています。

 

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