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農業の町から福祉の町へ ~元町長が命がけで残した取組み~

2012年08月30日 公開
2024年12月16日 更新

寺田昭一(政策シンクタンクPHP総研シニア・コンサルタント)

 日本一のひまわりの町・北海道北竜町で、もう1つ、新しい地域づくりへの挑戦が始まろうとしている。北竜町は、バブル期でも、ゴルフ場もスキー場も工場誘致も断って、「国民の安全な食糧生産のまちづくり」に徹してきた町である。コメを中心に、無農薬・低農薬の安心安全で生産者の顔が見える農産物生産に徹したその試みは、今では、先端的事例として北海道農業に大きな影響を与えることになった。その豊かな自然と農業を土台にしながら、若年性認知症ケアを中心とした福祉の町づくりが進んでいるのである。 <画像は北竜町ホームページより>

 北竜町と若年性認知症との縁は深い。平成16年(2004)、当時の一関開治町長が2期目の途中、53歳の若さで若年性認知症と診断され辞任を余儀なくされた。認知症を告知しての辞任ということもあり、その後の一関町長の闘病生活はNHKテレビのドキュメンタリー番組や書籍として全国に知られることになるが、町民たちも少しでも町長を支援しようと動きだした。しかし、症状の進行が早く、十分な支援ができないままに、一関町長の病状は悪化していった。そんな中、平成19年(2007)に、東京から中村道人さんという若年性認知症の家族が北竜町に移住してきたのである。偶然だが、奥様を若年性認知症で亡くされた北竜町出身の干場功という人が東京の「彩星(ほし)の会」という若年性認知症家族の会で活動しており、その方の紹介で北竜町に移住してきたのである。

 早速、干場氏の提案のもと、一関氏を支援しようとしていた町民たちが集まり、若年性認知症家族の会「空知ひまわり」をつくってこの家族の支援に乗り出したのである。

 「一関さんが、その病気を公表し、テレビ、マスコミに出演することによって、北竜町は若年性認知症にやさしいまちであることを全国に知らしめてくれました。それは、まさに、いのちをかけたトップセールスであり、私たちの町の歩むべき道を示唆してくれたのだと思います。それに、干場さんの東京での活動と、中村さんの移住が重なって、福祉の意識の高い町に育ってきたのです。私たちは、その財産を、これからの町づくりに活かして、福祉面でも世の中に貢献できる町にしたいと思います」

 発症から18年になるが、中村さんは、まだ元気で活躍されている。中村さんの主治医は、「生活環境や地域で実践している支援活動の影響もあり認知症の進行は大変穏やか」であり、医学的根拠はないが、地域の支援で社会生活に参加し続けることによって「少なくなった脳細胞同士がお互いにネットワークを形成して、病気の進行を遅らせているとも考えられる」という。

 若年性認知症にかかった人は、社会参加への希望、労働への希望を強く持つ人が多い、一方で生活費への不安もある。農業を基本とし、自然も豊かで、さほど生活費もかからず、福祉への意識も強い北竜町は、そのような人々を受け入れるには十分な条件がある。実際「空知ひまわり」会の設立以来、北竜町を訪れる患者家族も増えている。2025年か2030年には認知症患者は全国で300万人から400万人に達するという予測もある。北竜町のこの挑戦はまだまだ始まったばかりだが、北海道の農村地域の1つのモデルになっていくことを期待したい。

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