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毒親に縛られ続けたライナス・ポーリング...ノーベル賞を2度獲得した天才の苦労

2024年06月14日 公開

高橋昌一郎(國學院大學教授)

天才の光と影

ノーベル賞を受賞するほどの「光」あふれる偉才たちの人生の裏には、「影」が存在する。新刊『天才の光と影 ノーベル賞受賞者23人の狂気』を著した著者が、天才たちの狂気を生み出した要因をめぐり、驚愕のライフストーリーを明らかにする。(聞き手:岩谷菜都美)

 

天才の定義とは何か

ライナス・ポーリング、Linus Carl Pauling
ライナス・ポーリング 1962年

――(岩谷)本書を拝読すると、葛藤や苦悩を抱えながらも研究を続け、ノーベル賞を勝ち取った天才たちの人生には、転機になった出会いや、彼らを助けてくれた人の存在があるように思いますが。

【高橋】たしかに、そのようなポジティブな影響もあるでしょうが、それだけでは本書に登場する天才たちを語りつくせません。人間関係などで恵まれた環境は「優等生」を生み出すかもしれませんが、「天才」はむしろネガティブな要因から生まれているように思えます。

生涯に1300以上の発明を行った「発明王」トーマス・エジソンは、「天才」のことを"Genius is one percent inspiration, 99 percent perspiration."と定義しています。

つまり「天才とは1%のインスピレーション(閃き)と99%のパースピレーション(汗)」だということですが、ここで注意してほしいのは「99%は汗をかいた努力」だという点です。

私が『天才の光と影』の執筆を通じて常に感じていたのは、登場する天才たち全員がどこかで「異常なほどの努力」を重ねていること。しかも必ず先に成功があると保証されているわけでもない。結果の見えない暗闇の中を突き進む人間離れした一種の「狂気」を持つ人だけが「天才」に到達できるように思います。

 

能力を無視されたポーリング

――ネガティブな要素から生み出された天才には、誰が思い当たりますか。

【高橋】それならば山のようにいる(笑)。典型的なのは、本書の第15章に登場するライナス・ポーリング。1954年にノーベル化学賞、1962年にノーベル平和賞を獲得した、超天才です。
彼の人生につきまとって離れなかった「影」は、母親ベルの存在でした。

ポーリングの父親ハーマンはプロシアからアメリカ合衆国に移住した開拓民の息子でした。中学校を卒業後、薬問屋の丁稚になり、やがて行商をしながら薬について独習し、ついに薬剤師の資格を得たような努力家でした。彼は、開拓村で出会った郵便局長の娘ベルと結婚し、夫妻は3人の子どもを儲けました。

家族5人の幸福が一挙に崩壊したのは、33歳になったハーマンが突然血を吐いて倒れ、そのまま亡くなってしまったからでした。死因は「穿孔性胃潰瘍」なので、おそらく家族のために精力的に働きすぎた過労が大きな原因でしょう。

9歳のポーリングと6歳と5歳の娘を抱えた27歳の未亡人ベルは、途方に暮れました。彼女は、薬局を処分し、全財産をはたいて下宿屋を購入しました。2階に下宿人を置いて、その家賃で生活することにしたわけですが、食事の世話や家中の清掃は彼女が想定した以上に大変で、悪性貧血で倒れてしまう。

ポーリングの父親ハーマンは、息子の知的好奇心を大切にして、多くの本を買い与えていました。彼は自らの経験から、今後は数学と自然科学が大事だと常々ポーリングに語っていたのです。

最大の理解者だった父親の死にショックを受けた9歳のポーリングは、異様なほど勉学に打ち込むようになりました。とくに父親が重視した数学と自然科学ではトップの成績を維持し続け、彼は大幅な飛び級で中学校を卒業し、弱冠12歳でワシントン高等学校に入学することになったのです。

――父親の影響で、天才の能力が開花したのですね。

【高橋】そのとおり。しかし、彼の母親ベルは、学問にまったく興味がなかった。彼女は、家族で唯一の男性であるポーリングに「早く高校を卒業して就職してほしい」と懇願しました。

ポーリングが大学に進学したいと告げると、ベルは「お母さんたちはどうすればいいの、私たちを見捨てるの?」とヒステリックに叫びました。その後、彼女は亡くなるまでの生涯にわたって、ポーリングに送金を要求し続けたのです。

 

想像を絶する努力と母親の呪縛

『天才の光と影』(PHP研究所)

――わが子を縛りつける、現代でいう「毒親」。

【高橋】当時のポーリングは、新聞配達・牛乳配達・郵便配達に加えて週末はボーリング場や映画館でアルバイトを行い、稼いだお金をほとんどすべて母親に渡していました。

高校卒業後、何としても大学へ行きたいと考えた彼は1年間、資金を稼ぐために機械工場で働くことにします。彼は有能で、真面目な勤務態度が評価されて昇給すると、母親ベルはポーリングに工場の正規社員になるように勧める。

しかしポーリングの決意は固く、蓄えた200ドルを手に、追いすがる母を振り払うようにしてオレゴン農業大学へ進学します。当時の大学の授業料は1学期16ドル、下宿代は1カ月25ドルでした。ポーリングは、このように細かな数字を『自伝』に書き記している。よほど必死だったのでしょう、生活が染みついているのです。

大学では、初めての恋人イレーヌとデートします。ところが、女性と一緒にレストランで食事しワインを飲んでいるうちに、あっという間に150ドルを使ってしまう。これではいけないと決意したポーリングは、イレーヌと別れ、授業の合間に学生食堂で働き、校内のフロアを清掃する重労働を月100時間も行なって、学費と生活費を稼ぎました。

ところが、再び母親ベルが悪性貧血で倒れてしまう。彼女はポーリングに大学を休学して働いてほしいと頼みます。やむなくポーリングは休学する旨を指導教授に伝えに行きますが、彼の抜群に優秀な才能を惜しんだ教授は、なんと彼に大学で講義しないかともちかけます。ポーリングを「大学生でありながら大学講師」という異例のポストにつけたのです。

正規職に就いたポーリングは、晴れて愛していた教え子のエヴァにプロポーズします。ところが、ここでまたしても母親ベルが結婚に猛反対する。

――母親がボーリングに異常な執着を見せたのは、夫の死のショックや悪性貧血による妄想を抱えており、普通の精神状態ではなかったからでしょうか。

【高橋】そうかもしれません。さすがのポーリングも堪忍袋の緒が切れて、母親と絶縁します。しかし袂を分かったとはいえ、母親ベルの影が頭から離れることはなかったでしょう。

 

理性を失った「ビタミンCへの妄信」

――化学結合の本性と分子構造の解明でノーベル化学賞を受賞し、「現代化学の父」とも呼ばれた理性的なポーリングが、晩年、異様な「ビタミンCで癌が治る」という説を唱えるようになった。その理由も、母親の悪性貧血と関係はありませんか。ビタミンCは貧血に効く、ともいいますし。

【高橋】そこにまで母親の影があるとは思いつかなかった(笑)。そもそもポーリングほどの天才が、なぜ晩年に「ビタミンCで癌が治る」という奇妙な説を主張したのかは謎です。

過剰に投与されたビタミンCは排泄されます。しかも、ポーリングの学説は何度かの追試でもまったく確認されませんでした。それにもかかわらず、彼は最愛の妻に「ビタミンC療法」を施し、彼女の癌は完治せずに亡くなってしまった。

彼はベトナム戦争に公然と反対し、「核実験停止の嘆願書」を国連事務総長に提出するような信念の人でした。

もし母親からのダメージが蓄積して晩年の彼に影響が現れたのだとしたら、それは悲劇というほかない。ノーベル賞を2つ受賞した天才の輝かしい「光」の背後にも、暗すぎる「影」があったわけです。

 

著者紹介

高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)

國學院大學教授

1959年生まれ。ミシガン大学大学院哲学研究科修了。現在、國學院大學文学部教授。専門は論理学、科学哲学。主要著書に『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『新書100冊』(以上、光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)など多数。情報文化研究所所長、Japan Skeptics副会長。

X(旧 Twitter):https://twitter.com/ShoichiroT

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発売日:2024年11月06日
価格(税込):880円

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