写真:吉田和本
コロナ禍で苦境に立たされた日本の「夜の街」。現在もなお厳しい状況が続く水商売の業界だが、スナックは公共圏としての役割を担う貴重な場所であるのは明確だ。とくに地方都市のスナックに訪れてみれば、経済のみならず政治や社会の変化までわかるという。
本稿では、日本銀行前副総裁の若田部昌澄氏、そして東京都立大学法学部教授の谷口功一氏による「日本の水商売」についての対談を紹介する。
※本稿は『Voice』2023年7⽉号より抜粋・編集したものです。
【若田部】谷口先生のご新著『日本の水商売 法哲学者、夜の街を歩く』(PHP研究所)をたいへん面白く読ませていただきました。私は本誌『Voice』に連載されていたときからの熱心な読者でしたから(連載時のタイトルは「コロナ下の夜の街」)、今日は直接お話しできるのを楽しみにしていました。
じつは、本書を読むのにはとても時間がかかりました。文体は読みやすいのですが、さまざまな重要なテーマが散りばめられていて、ページを捲るごとに思索を刺激されたからです。
私はお酒が好きですがあまり飲めなくて、紫煙が苦手ということもありスナック通いをしてきた人間ではないのですが、どのエピソードもとても興味深かったです。
【谷口】有難い感想をいただいて恐縮です。最近では店内では禁煙のスナックも増えていますから、ぜひ足を運んでみてください。
【若田部】スナックも時代とともに変わりつつあるのですね。まずは私から本書の感想をお話ししたいと思いますが、大きく3つの顔があると感じました。
1つは「夜の公共圏」としてのスナック研究という側面です。谷口先生は20代ですでに「『公共性』概念の哲学的基礎・序説」(『國家學會雑誌』114巻、2001年)という論文を発表するなど、公共圏の研究を重ねてこられています。当時の研究からの延長線上であり集大成と言えるのが『日本の水商売』ではないでしょうか。
他方で、地方で働く人びとの姿に焦点が当てられており、重要な地域経済論としても読みました。
スナックの経営者は、たしかにビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズではないけれども、ある種の「非英雄的起業家」だというお話は興味深い。私も日銀副総裁時代、地域経済をどう理解すべきか考え続けましたが、全国各地の現場に足を運ぶ谷口先生の問題意識は非常に重要です。
3つめの顔が、コロナ下で厳しい状況に追い込まれたスナック業界のルポルタージュとしての魅力です。コロナ下では、とくにお酒を提供する飲食業に対して差別的な対応がなされました。本来であれば日本のソフトパワーになりうる業界が痛めつけられたわけで、当事者の証言は貴重で歴史的な価値があるでしょう。
【谷口】先月(2023年5月)には、鳥取県が部局横断で鳥取大医学部の医師も参画する「感染症対策センター」を新設しました。
県版のCDC(米疾病対策センター)であり、それ自体はもちろん構わないのですが、5月9日の『朝日新聞』では「クラスターは発生のたびに社会福祉施設や医療機関、学校などを対象に施設種別や地域別で公表する」と報じられています。実際にどんなかたちになるかわかりませんが、思わず「まだこんなことを続けるつもりなのか」と零してしまいました。
鳥取県については、本書でも「コロナ死亡者を一人減少させるためにどの程度の経済的犠牲を払いたいか」という「支払意思額(WTP=Willingness To Pay)」が日本国内で突出していることを表すデータを紹介しました。
私はいまでも、昨年4月に同県の米子市を訪れたときの光景を鮮明に覚えています。歓楽街として知られる朝日町に足を運びましたが、数十軒ものお店に臨時休業や閉業の貼り紙が貼られていました。ほかの地方都市と比べても、あれだけ厳しい状況をこの目で見たのは朝日町を訪れたときだけです。
【若田部】5月8日に新型コロナウイルスの感染症法上の位置づけが「2類」から「5類」に引き下げられました。それでも、いまなお「夜の街」に厳しい目が向けられているならば、非常に残念なことです。
【谷口】ご紹介いただいたように、私は若いころから公共性(公共圏)について研究を続けています。それは、べったりではない人と人の繋がりもあり得るのではないか、という観点から、法哲学者として公共性という概念に注目していたからです。
英語では「公共性」を表す言葉はありません。publicは「公衆」を意味します。
ドイツではユルゲン・ハーバーマスの『公共性の構造転換』(細谷貞雄・山田正行訳、未來社)が有名ですが、この本のタイトルに出てくる公共性=Öffentlichkeitという言葉は、どちらかと言うと英語のopenness、つまりは公開性に近い概念です。そう考えると、公共性とはある種日本特有の概念だと言えるかもしれません。
政治学者である神島二郎はかつて、『近代日本の精神構造』(岩波書店)で「へべれけ醜聞共同体」という言葉を使いました。皆で飲んで騒いで酔っ払い、醜態を晒し合って、それを抵当に入れて互いの信用を得る。そうして紐帯をつくるのが日本人だという考えです。しかし、われわれ日本人には、もっとほかのかたちの共同体もあるのではないかと思ったのでした。
【若田部】もう少し紳士的な繋がりを探し当てられないか、ということですね。
【谷口】そのとおりです。そう考えて私は、公共性について研究し続けています。かつて私は、公共性の条件として、公開性や普遍的な正当化可能性、あるいは離脱可能性の保証などを挙げました。
しかしあらためて考えると、福田和也さんが新著『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである』(河出書房新社)でも用いられていた表現を借りるなら、こういう「公共性の条件」みたいな話は、結局のところは本居宣長の言う「唐意(からごころ)」に堕してしまうのではないかというのが現在の私の考えです。
つまりは、理屈や理論を立てて生身の人間の感情を律するリベラリズムのような思想には、ある種の(からごころ的な)限界があるのではないか、と。
和辻哲郎は学生時代、田舎から東京に出てきたとき、煌々と灯りが灯されたり鉄道が走ったりする街の様子を見て圧倒されたといいます。
その後、彼は立派な知識人になるわけですが、自分の田舎の固陋で因習的な空気を忌み嫌いつつも、父親が亡くなって帰省した際、地元の人びとが心から悼んでくれたことに対して深く思うところがあったそうです。
以上は彼の短編「土下座」に記されている話で、苅部直さんの『光の領国 和辻哲郎』(岩波現代文庫)の序章でも紹介されています。公共性を考えるうえで示唆に富むエピソードではないでしょうか。
私がライフワークとして「夜の街」を研究する旅を続けているのは、かつて和辻がその身で感じたような、「まごころ」の共同体を探すためかもしれません。
【若田部】先ほども申し上げたように、本書は地域経済を知るうえでも重要な本です。そのあたりも意識されたうえで執筆されたのでしょうか。
【谷口】スコット・A・シェーンの『〈起業〉という幻想』という本の影響が大きいですね。この本は、経産省で開かれていたある研究会で柴山桂太さんから紹介されて、早速原著を取り寄せて読んでみたら、じつに面白かった。その後、中野剛志さんと柴山さんを誘って、本書の翻訳本を白水社から出したくらいです。
【若田部】そうでしたか。私はかねてより、谷口先生を翻訳の優れた目利きとしても注目しているんです。ダニエル・ドレズナーの『ゾンビ襲来』(谷口功一・山田高敬訳、白水社)も素晴らしい本でした。
【谷口】光栄です(笑)。『〈起業〉という幻想』は起業大国と言われるアメリカの実像を描いていますが、私にとっても「起業」は縁遠い話ではないんです。そもそも自営業の家の生まれですし、最近では卒業後に起業するゼミ生もいる。
そうした経験をふまえると、地方のスナックを切り盛りするママは、世間で注目を集めるスタートアップ経営者のような「英雄」ではないかもしれないけれど、「非英雄的起業家」とも言うべき立派な存在であることは間違いないと素直に思えました。
【若田部】「非英雄的起業家」とは、藤野英人さん(投資信託「ひふみ」シリーズ最高投資責任者)が言うところの「ヤンキーの虎」にも繋がる話ですね。
彼はヤンキーの虎について「地方を本拠地にしていて、そこでミニ・コングロマリット(さまざまな業種・業務に参入している企業体)化している、地方土着の企業。あるいは起業家」と自著(『ヤンキーの虎』東洋経済新報社)で定義しています。
【谷口】地方で水商売を営む人のなかには、裕福な暮らしを送っている方が多いですね。たとえ学歴が高くなくとも、自分の才覚で水商売だけでなく飲食業やエステなど多角的にビジネスを展開しているからです。
彼ら彼女らのSNSを見ると、週末にはマリンスポーツなどを楽しんでいる。その様子をなぜか冷たい目で見る人もいますが、私にはむしろ清々しく思えますよ。
【若田部】同感です。自分の手でお金を儲けて、しかも地域のなかで回したうえで、誰にも迷惑をかけずに暮らしているのですから。
更新:11月23日 00:05