Voice » Voiceインフォメーション » 百田尚樹 逃げることは、戦うことと同じくらい積極的な行動だ!
2018年03月08日 公開
2024年12月16日 更新
3月15日、百田尚樹先生の最新刊『逃げる力』(PHP新書)発売開始! いついかなるときも強気に思える百田さんが、なぜこんな本を書いたのか? その「まえがき」を特別公開! 日本人には、逃げる力が必要だ!
「逃げる」というと、皆さんは、どんなイメージをお持ちでしょうか。
会社から逃げる、人間関係から逃げる、目の前のピンチから逃げる……など、いろいろありますが、これらは「よくないこと」という気がしているのではないでしょうか。
人間というものはできるだけ忍耐強く我慢して、自分の責任を果たさなければいけない。逃げたことが他人に知られたら、恥ずかしい。逃げることは、消極的で、後ろ向きなこと――そんなふうに考えていませんか。
でも、その考えは間違っています。「逃げる」ことは消極的な態度ではなく、戦うことと同じくらい積極的な行動なのです。
人はそれぞれ、自分の人生で、大事にしなければならないものを持っています。私の場合は、まず自分の命。そして、家族です。
この、自分にとって大切なものを守るために、人生にはしばしば「戦うか」、あるいは「逃げるか」という選択を迫られるときがあります。そのとき、戦っても勝ち目がない、または戦っても状況は変わらない、あるいは戦っても得るものがない、と判断したら、さっさと逃げるべきです。これはまったく恥ずかしいことでも、いけないことでもありません。
魏晋南北朝時代に編まれた有名な兵法書『兵法三十六計』の最後にあるのが、「走為上(走るを上と為す)」というものです。これは「逃げるのが最善の策」という意味で、「三十六計、逃げるにしかず」という語源となった言葉です。この本の編者はこう語っています。
「勝ち目がないと判断したときは、全力をあげて撤退する。損害を最小限に抑えて戦いを回避できるのは、指揮官が判断力を失っていないからである」
「これ以上戦えないというときは、『降伏』か『停戦』か『撤退』かのいずれかであるが、降伏は完全な敗北であり、不利な条件での停戦も敗北に近い。しかし戦力を温存したままでの撤退は、いつでも形勢挽回が可能である」
私たち日本人の価値観では、「逃走する」というのは、恥ずかしい行為であると見られがちです。「逃げるくらいなら、潔く死ぬ」のが美徳という空気があります。大東亜戦争のときも、捕虜となるのを拒否して、しばしば玉砕戦法が取られました。しかし中国や欧米では、「玉砕の美学」などはありません。恥は一時的なもので、最終的に逆襲に転じて勝利をすればいいという考え方があるようです。
つまり、「逃げる」ということは、実は「戦う」ことでもあるのです。退却は「捲土重来(けんどちょうらい)を期して」のものなのです。「捲土重来」とは、一度戦いに負けた者が、勢いを盛り返して、ふたたび攻め上がることです。
逃げることが積極的な行為であることは、次のことからもいえます。「戦うとき」は脳内にアドレナリンが放出されることはご存知だと思います。アドレナリンは動物が敵から身を守るときに、副腎髄質(ふくじんずいしつ)より分泌されるホルモンで、運動器官への血液供給増大や、心筋収縮力の上昇などを引き起こします。
実はこのアドレナリンは「戦うとき」だけではなく、「逃げるとき」にも分泌されるのです。つまり生命にとって、「戦うこと」と「逃げること」は同じなのです。両方とも、命を守るための行動を起こすときに分泌されるものなのです。英語でアドレナリンのことは、「fight-or-flight」(闘争か逃走か)ホルモンと呼ばれるのはそのためです。
つまり、逃げたほうがいいのに逃げられないでいるということは、アドレナリンが分泌されにくい状態になっているともいえます。これは危険なことです。
もしこの本を手にお取りになっている皆さんの中に、今、理不尽な環境の中に置かれている方がいらっしゃるなら、逃げるという選択肢を考えてみることは大事なことだと思います。それは人生で最終的に勝利を得るための「積極的逃走」なのです。
更新:12月22日 00:05