2016年12月19日 公開
2022年11月10日 更新
村井 私が上杉鷹山という人物に初めて強い関心を抱いたのは、1995年、宮城県の県議会議員になったときです。ある食品の卸会社の会長さんのところに挨拶に行くと、「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」という上杉鷹山の言葉が貼られていました。「いい言葉だなあ」と眺めていると、その会長さんから「村井君、ああいう思いで政治をやれ」といわれました。そこで鷹山の人物像が知りたくて書店で買い求めたのが、童門先生の『小説 上杉鷹山』だったんです。
童門 それはご散財をおかけしました(笑)。
村井 何をおっしゃいますか(笑)。私がいちばん感銘を受けたのは、鷹山の「主権在民」の精神です。士農工商の封建時代において「藩主は人民と国家のために存在するのであって、藩主のために存在する人民と国家ではない」と言い切った。しかもそれを、家督を譲る際の「伝国の辞」として後世に残した。いまでこそ「都民ファースト」「県民ファースト」などと誰でもいいますが、江戸時代に「藩民ファースト」という考えをもつ為政者は稀だったでしょう。ジョン・F・ケネディ大統領が生前「最も尊敬する日本人は」と問われた際、「ウエスギ・ヨウザン」と答えたのも納得できます。
童門 じつは本書は、美濃部亮吉東京都政3期12年(1967~79年)の反省の書でもあるんです。当時の私は、知事のいわば側近として都政に携わっていました。その経験から、「あれはちょっとやりすぎたかな」とか「もっと丁寧な説明をして、彼らを納得させておくべきだった」という反省が込められています。
鷹山の藩政改革も、反対派による意地の悪い妨害に遭いました。門閥外から有用な人材を抜擢し、封建時代の武士に「愛民」を説いて荒地の開墾までさせたのですから、藩内の保守層の反発を買ったのは、ある意味で当然のことかもしれません。最終的には、鷹山はアンチ改革派に厳しい処分を下しましたが、どんな前向きな改革であっても、必ず協力しない者が出てくるのは、いつの世も同じでしょう。面従腹背は人の世の常なんです。
ちなみに本書のほとんどの登場人物には、実在のモデルがいます。悪く書いた人間はほとんど鬼籍に入り、いまは安心しておりますけれど(笑)。
村井 本書の冒頭に、鷹山が江戸櫻田藩邸の庭にある池の魚をそれぞれ家臣に見立てるシーンがありますが、じつはモデルがいたわけですね。
童門 そういうことです(笑)。
村井 鷹山の改革はけっして順風満帆というわけにはいかなかった。他家からわずか17歳で名門の上杉家の養子に入った経歴から、家中をまとめるのに苦労しました。時に鷹山は「泣いて馬謖を斬る」厳しい人事を貫きましたが、普段は部下を怒鳴るような真似はしなかった。ほんとうのリーダーとしての資質を備えていたと思います。私は未熟な人間で、鷹山のようにはいきませんが、「為せば成る」の精神で今後もやっていきたいと考えております。
童門 鷹山がいろいろな難事にぶつかった際、教えを仰いだのが師の細井平洲(儒学者)です。平洲の答えはいつも決まって「大事なのは勇気」でした。まさに「為せば成る」の精神ですね。
村井 いまから11年前、私が宮城県知事になったのは、45歳のときでした。県庁の課長クラスは私よりも年上で、しかも私は、前知事の後継者を破っての就任です。最初、職員は柱の陰に隠れてしまって「いったい、この人は何をやるつもりか」という感じで遠巻きに私を見ていた。たいへん苦しかった記憶があります。
そこで私が実践したのが、「衆知を集める」という方法です。できるだけ多くの人に会って、意見を聞くようにしたのです。周囲の声に耳を傾けず、いきなりトップダウンで物事を決めると、人心が離れてしまうと思ったからです。童門先生のご本からは、そうした知恵も学ばせていただきました。最初は「何か打ち解けていないな」と思った職員も、だんだん私に近寄ってくれるようになり、とくに東日本大震災の際は、ぎりぎりの状況のなか、よく頑張って協力してくれたと今も感謝しています。
そもそも部下というものは、上役が本気であるかどうか、すぐに見抜きます。さらにいえば、上が全体の利益を考えて行動しているか、それとも私利私欲で動いているか、下の者からはじつによく見えるんですね。
童門 おっしゃるとおりですね。鷹山の改革が成功したのも、「愛民」を貫く誠の精神の持ち主である、と多くの藩士たちが認めたからでしょう。江戸時代には多くの藩が財政再建に取り組みましたが、一部を除いてほとんどが失敗した。「領民のために」という大義が欠けていたからだと思います。
かくいう私自身、偉そうなことはいえません。私が都の職員になったのは昭和22(1947)年ですが、最初から「主権在民」の精神で働いていたかどうか。ちなみに、初めての仕事は税金の滞納整理でした。
村井 それはたいへんだったでしょう。
童門 もう仕事が嫌で仕方がありませんでした。直属の上司に対して「税金の督促なんて、全然面白くない。こんな仕事よりも福祉とか、公害防止とか、もう少し給料の額のお返しになるような仕事がしたい」といっていたくらいです。上司からは「おまえはバカか。都知事の代わりに仕事をしている気概をもて」とか「予算書の項目ぐらい、諳んじていなければダメだ」とか叱られていました。つねづねその上司から、税金がどう使われているか、都民に説明できるようになれ、といわれたのですが、結局、私は上司のいうことを聞かなかった。
するとある日、「おまえが尊敬する人物は誰だ」と聞いてきた。私が「黒澤明監督です」と答えると、上司は「『七人の侍』をもう一度観てみろ」という。映画の最後に「勝ったのはあの百姓たちじゃ、儂たちではない」という台詞があり、「ああ、上司は俺に『主権在民』の精神をわからせようとしたんだな」と気付きました。このような配慮には、感服するところがありましたね。
村井 素晴らしい上司じゃないですか(笑)。
童門 その上司のおかげで、私は真人間になることができました(笑)。まさに私にとって、師の1人であると感謝しています。
更新:11月23日 00:05