2013年04月09日 公開
2023年05月24日 更新
木村 50代での転身を経て、デビューされて6年。小説を書きはじめるきっかけは何だったのでしょうか。
百田 いちばん大きかったのは、50歳という年齢。いまでこそ寿命は長くなりましたが、昔は「人生50年」でしたよね。で、半世紀という区切りもある50歳を迎えたときに、初めて自分の人生を振り返った。それなりに楽しくおかしく、充実した人生やったとは思うのですが、あらためて、自分は何かコレといえるものを命懸けでやっただろうか、と問いかけたら「……うーん」となった。じゃあ、人生50年で一度目の人生は終わったと考えてみて、次の人生では、何かその命懸けになれるものに向かう、違う生き方をしてみようかな、と。それで小説を書き出しました。
木村 いま、作品づくりに関しては、どのようなことを考えていますか?
百田 まだたった6年ですからね。だから、小説って何をどこまでできるものか、自分にとっては、まだわからないところがある。自分はどこまで書けるのか、いまは模索している最中です。だから毎回、小説を書くたびにジャンルを変えています。チャレンジが終わったら、何でも「終わり」やと思ってもいますから。
『永遠の0』では、大東亜戦争を舞台に、生きるとは、死ぬとは何かという物語を書いた。その舞台、世界観で書くのは、ある意味たやすい。でもそれをやれば、僕は作家としては停滞する。だから新しいものを、と。
それから、作家になる前にはテレビの放送作家として、バラエティ、ドキュメンタリー、クイズ番組といろいろやってきたからでもあるんですが、とにかく僕は小説でも読者を楽しませたいと思っています。大きく笑うのでもいいし、「いい話だなぁ」としみじみ思ってもらうのでもいい。楽しみって意味はいろいろありますからね。
木村 百田さんは、読者が「いいものを読んだな」と思える読後感を大事にされているようにも感じられますが。
百田 そこはぼくのなかの目的の一つとして、読んだ人が「人生って素晴らしい」「生きるってなんて素敵なことなんや」と思ってくれたらいいなというのがあります。
立派な仕事を営々と続けておられる市井の人たちっていますよね。魚を獲るのでもいい。コメをつくるのでもいい。いま、目の前にある机をつくるのでもいい。あるいは、たとえでいうなら、うちのオヤジは大阪市水道局の職員でした。漏水課というところにいて、ずっと、しょっちゅう破裂しては水が漏れる管を直し続けていた。オヤジは大阪市内じゅうを歩き回るその肉体労働者としての仕事を死ぬまでやっていたオッサンでしたが、そういうのって「いい仕事やな」と思うんですね。
翻ってみて、いま自分のやっている小説という仕事は、「……何や、これは?」と思うんですね。大した仕事じゃない。豊かな社会が生み出してくれたものだろう、と。さっきいったような、ちゃんとした仕事を一生懸命してくれる人たちがいるからこそ成り立つ稼業や、と。そういう人たちが余ったおカネと時間を使って楽しんでくれるのが小説というもの。だったら、そういう小説家という職業を支えてくれる人たちには、僕は作品で恩返しをしたい。だから、せめて読んでくれた人たちには「ええもん読んだな」「じゃあ、オレも明日から頑張ろう」と思ってもらえる材料になるものを、と思って書いているところがあるんですよね。
更新:11月24日 00:05