2023年05月25日 公開
現代の若者は、映えを狙わず、マウントは可能な限り隠す――。金沢大学融合研究域融合科学系教授で、著書『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』が話題となった金間大介氏が、いまの若い世代のナイーブで複雑なSNSの実情を分析する。
※本稿は『Voice』2023年5月号より抜粋・編集のうえ、一部加筆したものです。
本稿では、ナイーブかつ面倒くさい若者のSNSコミュニケーションについて、金間らしく、面白おかしく解きほぐしてみたいと思う。
と、書いたものの、難解極まりないコミュニケーション事情を、本当に解きほぐせるのか(そして、それを限られた原稿という場で伝えきれるのか)まったくもって自信なし。
あまりに自信がないので、今回は当事者に直接手伝ってもらうことにした。お手伝いとして登場してもらうのは、金沢大学人間社会学域の4年生(当時:2023年3月に卒業)、北形隆太郎さん(彼女あり)だ。
彼は2年時の終盤から金間ゼミに所属していて、そのときから若者の価値観について、ともに研究してきた(マーケティング論では「顧客価値」と呼ばれる研究領域です)。ここからは、彼の調査研究結果をベースに金間が加筆修正する、というスタイルでお届けする。
SNSが世に出始めたころ(2000年代に入ったころ。mixiとかの時代。まだSNSと言われてない時代)は、何度かこの疑問について語り合った記憶がある。おそらくまだ、個人が自分の日常生活をネットにアップする、という行為が定着しておらず、違和感があったためと思われる。
否定派(あるいは懐疑派)のロジックは明確だった。「人がご飯食べてるところとか見て、一体何が楽しいの?」。このうち「人が」の個所を「人に」、「見て」の個所を「見せて」に変換して、疑義を表明する人も多かった。
これに対し、肯定派(あるいは中立派)のロジックは曖昧かつ不明瞭だ。「いや、何となく『見てほしい』みたいな!?」「別に『バリバリ見てほしい!』ってわけじゃないんだけど、ちょっち自慢したいぞ、みたいな!?」(金間先生、当時を語ろうとするときだけ、語尾が上がるのはなぜですか?)。
実際、mixiはのちに取って代わるFacebookと違って匿名が前提で、代わりに使われるニックネームは、友だち同士のあだ名など、近しい人にだけわかる状態だったため、とくに肯定派における次の主張は、ある程度説得力があった。
「たとえば、写真を現像したら友だちに見せるじゃん!? それと同じで、ちょっとした日常を共有することでできる何気ない会話が楽しいんだよねー、的な!?」(先生、だから語尾!)
語尾上げギャルの主張は置いておくとして、学術上、SNSに「投稿する」という行為には、「承認獲得欲求」や「所属欲求」「拒絶回避欲求」「社会的比較志向性」など、さまざまな心理が働いていると言われる。
また、SNS上で口コミを投稿する背景も、「いい製品だったからSNSで薦める」といった単純なものだけではないと考えられている。
しかも、ますますナイーブに複雑化しているのが現在の若者の心理だ。2023年現在、次の項目あたりは「最低限の基本事項」となっているようだ。
・映えは狙わない
・マウントは可能な限り隠す
・言い訳をつくっておいたうえで匂わせる(結果的に匂わせになっちゃった)
こういった心理がつくられた背景には、過去に自分がマウントをとられたり、隠れてマウントをとろうとして、ばれている「痛い投稿」を見た経験などから、どのレベルだと「周囲が不快に思うか(思わないか)」を学習し、慎重に投稿とその検証を繰り返してきたことがありそうだ。
いつしか、あなたには心の声が聞こえるようになる。仮に、この心の声を「仮想敵」と名づけよう。この仮想敵は、何かをSNSにアップしようと思い立った瞬間から、次々と攻撃してくる。その意味では、最強最悪のフォロワーと言ってもいいかもしれない。
したがって、あなたがSNSに投稿する際には、仮想敵からの悪質なコメントを回避するためにも、抜かりない準備が求められる。以降、この仮想敵との激しいバトルの様子を、レベルごとに分けた事例をもとに解説していく。
更新:11月21日 00:05